藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

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*[ウェブ進化論]Netflixという方法。
日経より平岳大さんのインタビュー。
どえらい男前の俳優がNetflixの主役になったと思ったら大俳優・女優の息子さんだった。いやはや血は争えないものだ。

ものづくりの発想が全く逆だ。日本のテレビドラマは3か月ごとの放送枠を「埋める」感覚だ。まず枠があり、視聴率が稼げる俳優のスケジュールを確保してから作品をつくり始める。ネットフリックスはまず作品があって、作品に合う俳優をオーディションで選ぶ。

 

完全に「局」の時代ではなくなっている。ロードショウとも違う新媒体の台頭だ。

俳優としての優劣でなく、役に合っているかで判断されたわけだが、そもそも世界を相手にするのに、日本国内だけの知名度に価値はない。そういう意味で、日本の全ての俳優に対し、世界への門戸が開かれたともいえる。

いよいよ俳優(映画)の世界もボーダレス化するだろうか。
ネットフリックスは一部の戦略的コンテンツ以外、ギャラ(出演料)の高い役者を使っていない。ギャラが高くなくても良い役者、良い監督、良い脚本家を集め、面白い作品を送り出したことこそが革命だと思う。トム・クルーズは世界に1人だが、同じぐらい良い役者は1人ではない。良い監督、良い脚本家も世界中にいる。そういった人材を無駄なく「流通」させている。

やはり新媒体であり、制作から製造から流通までが根本的に変わってきている。ディスラプションと言っていいだろう。

ボーダーレスになり「ジャパンコンテンツとは」が問われたとき、例えばアニメだけでいいのか。広い間口を自分から狭める必要はない。スポンサーから自由になったからこそ、もっと自由を満喫してほしい。
日本には純文学とか古典とか詠歌とかがたくさんある。
村上春樹だけでなく新しいメイドインジャパンに期待したい。

「動画配信、俳優にも世界への門戸開く」平岳大NETFLIX革命・番外編

 

有料動画配信の世界最大手、米ネットフリックスと日本のテレビ局のものづくりには、実際にどんな違いがあるのか。2019年にネットフリックスと英BBCが共同制作したサスペンス「Giri/Haji」で主役を演じた俳優の平岳大氏に聞いた。
 
■まず作品ありきの海外、枠を埋める日本
 
日本とネットフリックスを比べると、ものづくりの発想が全く逆だ。日本のテレビドラマは3か月ごとの放送枠を「埋める」感覚だ。まず枠があり、視聴率が稼げる俳優のスケジュールを確保してから作品をつくり始める。ネットフリックスはまず作品があって、作品に合う俳優をオーディションで選ぶ。
 
19年にBBCで放送、10日に世界配信が始まったGiri/Hajiは、台本の練り直しに1年、オーディションに4カ月、撮影は全8話に8カ月、編集に6カ月。決まるか決まらないかわからない仕事のために1年以上スケジュールを空けるような働き方は、日本の大手芸能事務所に所属していては難しい。個人事務所を立ち上げた最大の理由はそこにある。
 
日本でつくっていれば、主演は自分ではなかったと思う。知名度でいえば(共演した)本木雅弘氏や窪塚洋介氏に及ばないからだ。俳優としての優劣でなく、役に合っているかで判断されたわけだが、そもそも世界を相手にするのに、日本国内だけの知名度に価値はない。そういう意味で、日本の全ての俳優に対し、世界への門戸が開かれたともいえる。
 

 
平はネットフリックスとBBCの共同制作ドラマで主役に抜てきされた
■情熱だけでは仕事にならない
 
現場の働き方の違いも痛感した。日本は長くやればやるほどクオリティーが高いという発想だが、これも全く逆だ。Giri/Hajiでは1日だけ撮影が5分オーバーしたが、プロデューサーが出てきて平謝り。翌日は1時間早く撮影が終わった。決められた時間内に仕上げるのが監督の腕の見せどころ。「時間をかければ誰でもできる」という考え方だ。
 
スタッフの役割分担も徹底している。Giri/Hajiの現場でも、サングラスを外して髪を直そうというときにヘアメークにサングラスを渡そうとしたら「それは衣装の仕事です」と断られた。最初は融通が利かないと思ったが、そこまで徹底しないと責任を明確にできないこともわかってきた。役割と責任を明確にしないと、プロジェクトが大きくなればなるほど、属人的に業務を背負う人が出てくる。それは仕事ではなく情熱の領域で、産業として考えたときに長続きしない。
 

 
欧米の撮影はクオリティーは追求しつつ時間厳守。Giri/Hajiで予定時間をオーバーしたのは8カ月で1日だけだった
トム・クルーズはいらない
 
ネットフリックスは一部の戦略的コンテンツ以外、ギャラ(出演料)の高い役者を使っていない。ギャラが高くなくても良い役者、良い監督、良い脚本家を集め、面白い作品を送り出したことこそが革命だと思う。トム・クルーズは世界に1人だが、同じぐらい良い役者は1人ではない。良い監督、良い脚本家も世界中にいる。そういった人材を無駄なく「流通」させている。
 
グローバル規模で大勢の会員を獲得してこそ、多額の制作費を投入できる。コンテンツづくりは米本国に任せ、ほかの国は見るだけというわけにはいかない。ネットフリックスが日本でつくる作品にも、世界的ヒットが求められることになるだろう。
 

 
平は日本のドラマにもグローバルな視点が必要と説く
■「芸能界」からの独立、世界進出のカギ
 
必要なのは日本の独自色を出しつつ、テーマに普遍性があるコンテンツだ。そのためには世界的な価値観を理解したプロデューサーが必要になってくる。ある国や文化のタブーが、ある国や文化ではタブーでないかもしれない。同じタブーでも歴史や背景も違う。人間をどう描くかは万国共通だが、グローバルなプラットフォームに乗せるには、日本だけの価値観では対応できない。
 
破格の制作費も一つの革命だが、日本のつくり手にとって本当の革命はまだ先にある。せっかく世界に発信できるのに、日本の外で通用しないコンテンツをつくっても意味がない。新しい配信媒体ができたからといって、日本の芸能界の商慣習は、すぐには大きく変わらない。事務所の力関係、根回し、バーターといった日本の芸能界の慣習から独立性を保っていけるかも重要だろう。
 
ボーダーレスになり「ジャパンコンテンツとは」が問われたとき、例えばアニメだけでいいのか。広い間口を自分から狭める必要はない。スポンサーから自由になったからこそ、もっと自由を満喫してほしい。ドラマを描く中で不可欠なテーマを自由に扱えるのが自由の本質だ。今やネットの世界ではテーマ自体にタブーはない。誰が演じるのかではなく、どう演じるのか。何を扱うのかではなく、どう描くのか。その質が問われている。
 
(嘉悦健太)