藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

小馬鹿注意報

*[次の世代に]自分探偵。
ほぼ日より。
「わかったような気になってばかにする」というのは、
じぶんがなにもないから、まわりをばかにしないと、
生きてく自信が持てなくなっちゃうからなのだろうね。
ありますあります。これ。
でも、若い時のこと。
 
で年とともに知っていることや経験値が上がってくるので、「自分の理解できるかたまり」で対象を理解しようとする。
だから若者が「お金が欲しい」と言ったら「お金なんてものは…」とか言うし、反対に「お金なんていらない」と聞くと「いやいやお金というものはね…」などと言いたくなる。
実にうざい。
 
知らないことに虚勢を張ってバカにするのも無駄だし、色々知っているつもりで小馬鹿にするのは害悪とも言えるだろう。
しかしこの「わかった気にならない」のは結構難しい。
だってそんな中にはまあ「本当に分かっていること」もあったりするから。
だから「オレよ。このこと、本当に分かっているのか」と言う探偵のような存在が必要なのだと思う。
さらに「それってお前が人から聞いただけのことじゃないのか」とも質問してみよう。
 
何かにつけ「バカだな」と思ったら要注意だ。
バカは即座に自分かもしれない。
それでも政治の様子はバカに見えるけれど。
 
 
 
今日のダーリン
・「わかったような気になってばかにする」
そういうことってないかい?
 
ぼくは、たくさんあったよ、たとえばね…。
若いときに、アメリカやイギリスの音楽を聴いていると、
なんだか新しい時代の主人公になったような気がして、
おじさんおばさんがよく聴いているような
謡曲をはじめとする日本の歌をばかにしていたんだ。
 
恥ずかしいから、あんまりいちいちは言わないけれど、
いまのパナソニックの創業者の松下幸之助さんのことも、
「どうせ、偉そうなこと言ってるおじさんだろう」
くらいに、なんにも知りもしないくせに決めつけていた。
 
詩人で書家の相田みつをさんのことなんかも、
「適当なこと言って、最後にみつをって言えばいいんだ」
と冗談のたねのように片付けていたよ。
ぜんぶ正直には言わないよ、恥ずかしすぎるからね。
 
じぶんがまちがっていた、ということの前に、
なんにもわかってないし、知りもしないくせに、
「あんなものはたいしたことない」と決めていたことが、
あまりにもダメなことだと思うし、それが恥ずかしい。
おそらく、こんなふうに、知りもしないのに
「わかったような気になってばかにする」というのは、
じぶんがなにもないから、まわりをばかにしないと、
生きてく自信が持てなくなっちゃうからなのだろうね。
たぶん、ぼくの場合はそうだったと、いまは思う。
 
やがて、ひとつずつわかっていくわけだ。
現実的に、ものごとを知っていくと、
「それぞれに、たいしたものだ」とわかってくる。
そして、じぶんにないものについては、
それまでばかにしていたものに教わる必要がある、と。
このことに気づくのが、何歳くらいのときか。
人それぞれだと思うんだけれど、
あんまり遅くならないほうがいいような気がする。
それができるようになると、敵からも学べるし、
花や虫や電車やチョコレートからも学べるようになる。
それがいやなら、ま、そのままでいなさい、ということ。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
糸井重里?なにあれ?最悪だよね…も、当然あるだろうさ。