藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

目的あらばこそ

*[次の世代に]スキルは道具。流されるな。
スキル、という言葉がIT業界で使われだして30年ほどになる。
もともとは狭い意味で「IT開発の経歴の目録」だった。
それから営業、提案、企画、財務、人事、コンプライアンスIPO、IR…
あらゆることがスキルと定義されて今に至っている。
 
そして結局、コミュニケーションとか協調性とか技術とかについて「極端に欠落」があると社会で伸びていくのはなかなか難しいらしい。
ソニー創業者の井深さんは、友人であった本田宗一郎氏を「厳密にいえば技術の専門家ではない」と表現したらしいが、発言の本質はそこにはなかった。
その心は、技術を生かして何かしようとの考えが起点ではなく「こういうものをこしらえたい」という目的や目標が最初にあるということだった。
つまり、「どのスキルが有利か」「どのスキルが必要か」を考えているのは"戦術倒れ"なのだと思う。
「人が、世間が求めているもの」を基準にするから自分がなくなる。
「どんな戦術が受けているか」を見て判断することは、将来取り返せない後悔を生むかもしれない。
 
若い人は、くれぐれも「大人受けしそうなスキル」に時間を費やすべきではない。
やりたいことを考え、追求したほうが絶対にいいと思う。
 
専門スキル 使い方カギ
起業家になるには実務に関連するスキルが必要だ。起業家のスキルに関する著名な学説として「なんでも屋」理論がある。起業家は経営のために幅広い専門的な業務をこなすため、バランスの取れたスキルを持つ。裏返すと、バランスの取れたスキルを持つ人は起業家になりやすい。さらに起業家の収入は最も弱いスキルで決まるため、起業家はバランスが高まるように最も弱いスキルを引き上げようと自分に投資する。

 
新聞記者を経て、2001年農工大ティー・エル・オー株式会社設立とともに社長に就任(現任)。2013年から東京農工大学大学院工学府産業技術専攻教授。大学技術移転協議会理事。
一方、従業員の賃金は最も強いスキルに依存するため、そのスキルをさらに伸ばそうとする。結局のところ起業家はゼネラリスト、従業員はスペシャリストとなるという考え方だ。
 
ゼネラリストといっても専門性は必要で、一定の専門的な水準にあるスキルを幅広く持つことが前提になっている。いわゆる器用貧乏とは異なる。この考え方は起業家に限らず応用が利きそうだ。例えば、最近は人工知能(AI)関連のセミナーが花盛りだが、これも最も弱いスキルを補って、スキル全体のバランスを高める動きといえる。
 
スキルの獲得では業務経験が大きな役割を果たす。中小企業ではバランスの取れたスキルにつながる経験を積みやすく、大企業ではスペシャリストの高度な専門性が生かせる場が多い。スキルに加えて人的ネットワーク獲得にも有利で、ベンチャーが次のベンチャーの苗床になる事例はシリコンバレーでは当たり前だ。立地に関する地方圏と都市圏でも関係は同様だ。
 
数年前、ある会合で大学・大学院教育への期待に関する経済団体の調査が説明された。企業側は、学生が「専門分野の知識を身につけること」や「論理的思考力や課題解決能力を身につけること」への期待が多かった。この結果に大学教員が議論を吹っ掛けた。「博士課程の学生こそ高度な専門的知識と論理的思考力を有しているのに、なぜ企業は採用に消極的なのか」
 
企業が建前の回答をしたのではあるまい。博士課程の学生に高度な専門的知識や論理的思考力と同時に、柔軟性や組織への適応性不足といった負のイメージも結び付けてしまうからだろう。スペシャリストであっても、ある程度のスキルのバランスが求められる。
 
ソニー創業者の井深大氏は自著で、友人だったホンダ創業者の本田宗一郎氏との共通点に「厳密にいえば技術の専門家ではない」ことを挙げた。傑出したエンジニアである本田氏を「ある意味で素人」と語れるのは井深氏ぐらいだと思うが、その心は、技術を生かして何かしようとの考えが起点ではなく「こういうものをこしらえたい」という目的や目標が最初にあるということだった。
 
スキルの獲得でもゼネラリストとスペシャリストのどちらかを選択するより、目標実現のためのスキルの使い方に重点を置いて考えるといいように思える。