藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

デジタル・デトックス

*[ウェブ進化論]繰り返す私たち。
日経より。
画期的なサービスや製品を開発するベンチャーも、そのような先進的な企業に就職したい学生たちも、"Fake it until you make it"(実現するまでだまし続けろ)の精神で、ある意味、実現不能に見えることを実現してきた。
これまでのITの開発と普及を一言でいえばこうなるだろう。
バグを抱えながら、サービスの穴を分かりつつも「便利」を錦の御旗に台頭する技術は進んできた。
ともかく数を、ともかくシェアをと。
しかしだ。
どんなに素晴らしいことを実現しても、経営者として正義感や倫理観が欠如していては、社会的に評価される組織を築き、優秀な人材を雇用し続けることは難しい。技術は確かに、我々の生活を便利にし、社会を効率的にしているが、その利用者である人間への配慮と、自然への感謝がなければ、未来は人類が技術に振り回されるディストピアしか待っていない。
ここでいう「人間への配慮」とか「自然への感謝」が何を意味するのか、そのうち具体的になるかもしれない。
つまり「便利だから」「早いから」という理由だけで突き進んできた"ネット"は、そろそろ「なんでもあり」ではなくなるのだと思う。
ここにきてシリコンバレーで、仕事と生活のバランスや、自然との共生をうたう、マインドフルネスや、その要素である瞑想(めいそう)が大流行しているのも、このような技術に囲まれた生活の疲弊感が背景にあるのであろう。私の周りでも、デジタルデトックスと称して、スマホを忘れて、海上で釣りを楽しみ、登山で自然に囲まれる人も増えている。 
まずは技術が先行し、それを後から考える。
「技術と人間」というのはずっとこの繰り返しをしているのだろう。
そしてこの繰り返しは、そしてこれからも続く。
自分たちはこうした歴史から、何かを感じる必要があると思う。
 
テクノロジー企業に逆風
 
最近、テクノロジー企業への風当たりが厳しい。フェイスブックにはフェイクニュースがあふれ、何が真実なのか疑心暗鬼になるほどだ。前回の米大統領選のプロセスが、かなりこの情報戦によってゆがめられたことは明らかになっている。あるリサーチによれば、テクノロジー企業が社会に対して良い影響を与えていると考えている人は、2015年には71%であったのが、19年には50%まで落ち込んでいる。

 
1997年東大法卒、日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。2003年から米大手VCのDCM本社パートナー。13年8月、ベンチャー支援組織のWiL(ウィル)を設立。
テクノロジースタートアップの世界でも、自動運転車への嫌がらせ、街中にあふれる電動スクーターの破壊や、労働を奪うのではないかと懸念される人工知能(AI)のソフトウエアやロボットの拒絶といった、テクノロジーを否定するネオ・ラッダイト運動も盛り上がっている。SNSでのいじめの問題やオンラインゲームへの依存症といった現代病も悩ましい課題だ。
 
これまでGAFAを中心とした、ハイテク企業大手は、地元スタンフォード大学生のもっとも人気で、競争率の厳しい就職先であった。そこにも変調が現れている。
 
プライバシーをめぐる問題や、女性蔑視、ハラスメントに対する倫理観の欠如といった行為が明らかになるにつれて、優秀で正義感の強い学生ほど、社会貢献できる職場を好むような現象が起きている。例えば、フェイスブックへのエンジニアの応募数は40%以上も落ち込んだとも言われている。
 
また、GAFAに就職が決まった学生が、何故そこに決めたのかをクラスメートに正当化しなければならないようなこともあるようだ。
 
画期的なサービスや製品を開発するベンチャーも、そのような先進的な企業に就職したい学生たちも、"Fake it until you make it"(実現するまでだまし続けろ)の精神で、ある意味、実現不能に見えることを実現してきた。
 
しかし、ここに来て、明らかにその弊害が現れ始めている。
 
どんなに素晴らしいことを実現しても、経営者として正義感や倫理観が欠如していては、社会的に評価される組織を築き、優秀な人材を雇用し続けることは難しい。技術は確かに、我々の生活を便利にし、社会を効率的にしているが、その利用者である人間への配慮と、自然への感謝がなければ、未来は人類が技術に振り回されるディストピアしか待っていない。
 
ここにきてシリコンバレーで、仕事と生活のバランスや、自然との共生をうたう、マインドフルネスや、その要素である瞑想(めいそう)が大流行しているのも、このような技術に囲まれた生活の疲弊感が背景にあるのであろう。私の周りでも、デジタルデトックスと称して、スマホを忘れて、海上で釣りを楽しみ、登山で自然に囲まれる人も増えている。
 
今後ますます技術は進化していくであろう。だからこそ、アナログ感覚も研ぎ澄まし、自然を感じ取り、人の痛みも理解できる人間力を強化しなければならない。