藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

試されるとき

*[次の世代に]逆境に起きること

自分は戦後生まれだが、先輩に聞けば"戦中"はまさにこんな感じだったという。

違うのは今は「侵略の争い」ではなく見えないウィルスとの戦いだという点だ。

ここ一月、政治家、経営者、高齢者、介護施設の人、アルバイトに従事する若者、パートのスタッフ、など実に色々な人と話したが、はっきりと二種類の人たちに分かれていた。

「恨み節を言うだけの人」と「(文句は言いつつも)手を動かし続ける人」の二種類だ。

危機管理の世界では「fight or fright(闘うか逃亡か)」と言う。

現状を嘆き、時には神に祈り手を合わせてひたすら環境がよくなるのをただ待つ人。

嘆きつつも(無力かもしれない)次の一手を休まずに打てる人。

"勝負は最後まで捨てるな"という言葉をこれほど大事に感じることはない。

 

ものは考えようだが、この度の出来事は「そんな自分の気持ちが試されている機会だ」と思えば気持ちも変わる。

嘆きつつも「最悪を考え、でも諦めない」が最後の"心のポジション"の取り方ではないだろうか。

「冷静と情熱」が同時に必要なのだと思う。

残るのはきっと情熱だ。