藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

将来のバラつき。

ブログを始めてずい分経つが、一番の効果は自分の考えの点描(いわゆる日記)と、もう一つは「webがなければ決して知りあわないだろう人たち」との交流である
特にもう40後半の自分が現役の中高生と「素で」話し合う、ということはむしろネット上でないと実現しにくい。

そうして、かなり「隔絶した世代」の若者たちと話をしてみると、その「興味の焦点」がこれほど異なるものか、と改めて新鮮に感じる。

中学生は高校のこと。
高校生は大学のこと。
大学生は、就職ほか進路のこと。
社会人は転職とか、結婚とか、家庭のこと。

寄せられたメッセージを見てみると、改めて「人は今の自分の関心」にこれほども目を奪われるのだな、と関心する。
中学生にとって、次に進む高校の種類は、人生にどれほど重要だろうか。
高校生にとっても同様。次に進む大学は一体自分の人生にどれほどの影響を与えるだろうか。
大学生にとっての就職。これからの職業の選択肢は、過去数十年のような「会社ありき」では本当になくなってきそうだが、まだ今の学生諸氏にはそのような「リアル感」は薄い。
マスコミがいい、とか公務員志望、とか大企業ありき、という風潮はまだ崩れていないように思う。
この先数十年に「どのような価値観の世の中が訪れるか」ということは、当事者の若者には実に予想しがたいことだとは思うが、もう少し「今の現役ベルト」の声を真摯に聴いてみてはどうかと思う。


今の四十、五十、六十、七十、そして八十代の大人たちがいう幸せとはどういったことか。
また彼らが情熱を燃やし、追いかけた未来はどんなものだったか。
そして今、二十一世紀の将来を彼らはどんな気持ちで見ているのか。
もし今の十代、二十代に掛ける言葉があるのなら、それはどんなことだろうか。
さらにもし、今彼らがもう50年も若ければ、将来に対し何を想っただろうか。

そんな問いかけを、世代を超えて特に「年の離れた世代に向かって」してもらいたい。
先輩たちは、まってました!といろいろ語ってくれるに違いない。
そしてそれを問いかけるのは若者の特権。
少々短絡的で向こう水でも構わない。

先人の知恵を吸収するのは若者の権利であり、またそれを伝承したいのは年長者の願いでもあると思う。