こういう「年金何するものぞ」というような教育こそ、義務教育から詳しく学び、また大学などでも専門教育を広く深めていくべきではないだろうか。
自分はアメリカのように「何でも投資とリターン」にフォーカスして考えるのは好きではないが、しかし今の「社会の仕組み」については知らないことが多すぎる。
政治思想のことや政治のシステムも然り。
行政の制度なんて、医療や介護保険一つとってみても複雑怪奇で、とても「一度サラッと学んだだけ」では理解できない。
どんどん仕組みを複雑にしてしまう「行政と政治」も罪深いと思うが、世間に吠えても仕方にない。
必要なことは自分で補強していくしかないと思う。
コラムの権丈先生の話を聞いていると「じゃあコメとか肉を何十年も保存して蓄えておくか」という気にもなってしまうが、是非とも「老後は暗いことばかり」という論調に一泡吹かせてもらいたいものだ。
親は介護、自分は定年、子供はニート、では若者に「元気を出せ」というのも無理がある。
明るい将来もいくらでも描けるのだ、ということを示すのが大人の責務ではないだろうか。
公的年金保険の誤解を解く(3) 積立方式でも少子化は影響 慶応義塾大学教授 権丈善一
生産物は蓄えることが難しく、20年後、30年後に消費するためには、そのほとんどがその時代に生産される必要があります。その財・サービスを生産するのは誰でしょうか。それは、その時代の生産者でしかあり得ません。筆者のような50歳代の世代が30年後に80歳代になった時、散髪してもらうには、その時に現役の床屋さんに髪を切ってもらうしかないわけです。その生産者の数が少子高齢化と人口減少で少なくなっていき、1人当たりの労働者が生産する財・サービスの量が変わらなければ、合計の生産物は減ってしまいます。その少なくなった生産物を、その時代に生きる現役世代と高齢世代などみんなで分け合うことになります。
この時、20年前、30年前から、お金を蓄えて、将来の生産物に対する請求権を確保していたつもりでいても、その請求権の基になる貨幣価値は変化を余儀なくされます。ニコラス・バー教授が言うように「年金受給者が購入できる生産物がなければ、貨幣は無意味となる」わけです。生産物がなくなるというのは極端ですが、年金の財政方式が積立方式であれば、少子高齢化の影響を受けないと信じている人の目を覚まさせる言葉としては分かりやすいと思います。
年金受給者の生活水準はその年金によって購入できる生産物の量によって決まりますが、購入できる量はそのときのパイの大きさ(総生産物)に制約されます。だから「生産物こそが重要」なのです。そしてパイの大きさは、年金財政が積立方式であろうと賦課方式であろうと、残念ながら少子高齢化の影響を受けることは免れません。
積立方式で現役時代から株式や債券といった形で蓄えておいても、資産を現金化して財・サービスを購入しようとすれば、資産価値が下落するという形で調整されることもあれば、財・サービスの需要が高まって価格によって調整されることもあるでしょう。いずれにしても、年金受給者の関心は、食料、衣類、医療サービスなどの消費に関心があるのですから、公的年金の制度設計は、生産物を基準にして行うことが必要になります。