藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

コロナの暴露(1)

*[次の世代に]既得を捨てる。

自分が改めていうまでもないが、コロナの影響でこれまでの「当たり前」がいくつも崩れている。

感染は厄介だが、特に日本ではそれを上回る効果もあったのかもしれないと思う。

通勤、管理職、オフィス、出張、会議、報告書…
これまで何度も書いているが、"コミュニケーションツール"がもう少し進化するだけで「これまでの当たり前」がようやく無くなろうとしていることが、なんだかもの哀しい。
理屈では対処できない「魔物」が攻めてくると、自分たちはようやく「これまで持っていたもの」を手放す気になるらしい。

人の習慣とは、良い方に作用すれば社会のためになるが、一たび「好き嫌いとか利得の確保とか」に利用され出すと、それを覆すのは実に難しいということがこの度は露わになったのだと思う。

 一番の知的財産であるものが、個人や団体の思惑で操作されると、害悪を及ぼしていることがわかっていても容易には消せないのが民主主義の世の中でもあるのだ。

 

そして何よりももったいないのはそうした「形式」にとらわれ、従事している「人の時間」である。

既得の食い扶持にしがみつくのではなく、本当にやりたいことに目を向けるべきだろう。

その方が絶対に、ご本人も楽しいに違いない。