藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

昭和の呪縛(2)

*[次の世代に]萌えるもの。

「萌え」という言葉が流行ったときには、もうはっきりと意味がわからなかったが今でもわからない。(嘆)

ただその使われ方を聞いていて、何か気を惹かれるもの」「心がインスパイアされるもの」なのだろうと想像する。

 

昭和の時代はその「萌え」の対象が国民皆で一致していたのだろう。

そこにはサブカルチャーなどはなく、メジャーな「成長」とか「豊さ」が厳然と存在していたのだ。

そしてその発露は間違いなく「戦争体験」「終戦」からきていると思う。 

つまり生きる上での「飢え」とか「命」への恐怖が皆に張り付いていたのだと思う。

だから全国民の「萌え」はそういうことだった。

三種の神器とか、モーレツとかいう言葉がむしろカッコよく響いていた時代だ。

戦後75年が経ち、自分たちの恐怖の対象は完全に変わってしまった。

「飢えとか生死」ではなく「生きがい」とか「格差」とかもっと複雑なものに移っている。

 ゲームチェンジ。

そもそもゲームなのか。

新しい令和世代の人たちはそんな気持ちなのではないだろうか。

全く既存の価値観から解き放たれて、自分たちなりの「萌え」を探す時代に入っていると思うと面白い。

自分たちの時代に比べれば、遥かに「多様な若者」が登場するに違いない。

日本は、戦後が本当に終わったこれからが楽しみなのではないだろうか。