連休にまかせて無料のセミナーにエントリーし倒していたら結構予定が埋まっている。
会場に行かなくてすむのはめちゃくちゃ有り難いが(それにしても今まで"移動"という恐ろしいムダには戻りたくないですね)、それでも二時間ほどの間の拘束は解かれてはいない。
中には聞いている最中に「あパス」というのもあるけれど、内容はそこそこでメモも二、三行というのでは、果たして聞く必要があったのかなかったのか。
いずれ講演は、事前にレジュメを配り、またその後はyoutubeに全て上げて"スキップしながら見られる"
そんな風になるのではないだろうか。
コロナがもたらした「時間の概念革命」は、移動だけでなく「情報の発し方」についても非常にシビアな価値観を突きつけている。
"それでもなお価値のある"コンテンツだけが生き残ることになるだろう。
どんどんお手軽になり、無限のように増えるコンテンツの世界だが、勝ち残っていくのは並大抵ではなさそうだ。
けれど「いいものだけが遺ってゆく」のは今も昔もそう変わらない。
"超競争"の世界に見えるwebは、実のところ「玉石混交」をただ加速させているだけなのかもしれない。