藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ネクストSDGs

*[次の世代に]法治と人治の間。

昨日、権利のない世界、いや「権利の主張の要らない世界」を目指せ、なんてことを書きました。

今すぐそんなことになったら、たちまち無法地帯のようになり、戦争でも起きてしまうかもしれないし「法治主義」がなくなっていいというのは暴論だろうが。

 

それにしても根本的に人間とか、他の生物も「争う」ということをするから「今みたいな法律が絶対に必要だ」ということには、誰しもあまり異論はないでしょう。

しかも「競争」とか「競争社会」が発展を促す、なんていうのも「当たり前の理屈」になってしまっているから尚さらだ。

けれど「行き過ぎた競争」が実にいろんな歪みを生んでいることも、みんな知っているワケだ。

で「それ」をどうやって「ほとほどの内」に留めるか?

というのがこれからの 大きな目標ではないだろうか。

 

自分たちはここ何千年も「富」とか「競争」とか「支配」とかを続けてきて今に至っている。

いろんな政治のやり方も試してきて、技術もものすごく発達してきたけれど「人類の年表」をハラリ先生のように眺めてみれば、まだまだ「人類は発達のなかば」だということにリアル感が出てくるだろう。

法の支配から脱する発明、をできた時がSDGsの最終ゴールなのではないだろうか。

それは確かに発明だ。

今そんなことを言っても単なる「天国論者」みたいに思われるだろうが、こんな話が話題になるのはそんなに遠いことではない気がするのだが。