藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

脱・因習

*[次の世代に]コロナ・ゲイン

1年以上に及ぶコロナ騒動で自分たちは「これまでにない経験」をした。

少なくとも大戦以来、過去の地震ショックやテロ以上のものだったと思う。

たくさんの犠牲者も出たが、ウィルス禍でもなければ「これほどの試練」はなかっただろう。

「会う」とか「通勤する」とか、これまでは「究極のアナログ部分」だった部分が根本的に改革を迫られた。

こんな暴力的な手法は、やはりウィルス出ないと無理だったと思う。

だから人の動きがすごいスピードで変わった。 

「外で食事をしたり、お酒を飲んだり、消費をすること」についても、自分たちは再考させられている。

これまでの生活スタイルは、果たしてよかったのかどうなのか、と。 

 

一応、平和に暮らしていて、いきなりこんな「パワハラ的な問いかけ」などできない。

だからこの度の自分たちは「世界的な災厄」に遭遇して、「これまでになかった何か」を得るのだと思う。

コロナを機に一気に加速している"DX(デジタルトランスフォーメーション)化"が「デジタル元年」などと呼ばれるようになれば、自分たちのこれからの生活スタイルも「コロナ並みのイノベーションを考えよう!」が当たり前になるかもしれない。

 

なんでもイノベーションありき、でもないと思うけれど、人はそれほど"異質"を嫌ったり恐れたりするものだ。

"あえて、異質を!"が次の時代の合言葉になるのではないだろうか。