藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

コロナの活かし方(2)

*[ウェブ進化論]分けて準備すること。

大学の民法の授業で「民法は経済に関する法律である」と最初に聞いて「へぇーそうなんか」と感心したことを思い出す。

それからあらゆる行為を細かく分別し、そして「最終的にはお金に換算する」というその合理性にも驚いた。

法治国家では、どの国も似たようなやり方が取られているようだから、今のところ「最新の人類の知恵の形」なのだろう。

 コロナ騒動はそんな「これまでの常識」も揺さぶった。

経済よりも身体の安全の方が大事である、とは言うけれど。

けれど実際の「人社会の活動」では生命が最優先にはなっていない。

交通事故しかり。

医療制度しかり。

損害保険しかり。

生命保険しかり。

みんな「人の犠牲は織り込み済み」という風に見える。

 

コロナで飲食酒店や観光業界の人たちは大きな損害を被ったが、「安全のためならお金はなしで良い」という人はほとんどいなかった。

むしろ「経済主導」で世の中は進んでいたように思う。

そしてまた、大量のお金がなければワクチンもこれほど早くは作れなかっただろう。

で何がいいたいのか。

 

「お金で"富の力"を集中させてする国家事業」と「衣食住のようなライフラインに関わること」とは分離しておく必要がある、と感じたのだ。

具体的には「国と地方をはっきりと分離する」ということではないかと思う。

つまり地方のサプライチェーンは、ライフラインの大事な部分では「地方で完結できる体制」が必要なのだ。 

 

国レベル、さらには世界レベルで「何でもかんでも」サプライチェーンを繋いでしまうと、コロナのような怪獣が襲ってきた時にライフラインが断たれて、パニックが起きてしまう。

普段から「外部に頼りすぎだった」と思う。

最低限のライフラインについては、「お金」を駆使しなくとも維持・循環できるような地域づくりがこれからの目標ではなかろうか。

 

コロナから学ぶことはまだまだありそうだ。