*[次の世代に]分業と自営のあいだで。
たとえば自由貿易について言えば、18世紀にイギリスのリカードという経済学者が、「比較優位論」というタイトルで「国際的な分業が、国同士の利益を高める」と唱えたことが今日まで続いているらしい。
今でいうサプライチェーンの概念だ。
1700年代には「実に鋭い知見だった」と思うが、いよいよ今回のコロナを契機に「国際的な分業」を「どのあたりでやめるか」ということが問われている。
自分の国で「衣食住の基本的な要素が賄えない」までに分業が進んでもよいものかどうか。
日本が観光立国をスローガンに、政府をあげて「インバウンド!だ」と叫んでいたが、今になって思えばあれは正しい方向だったのだろうか。
日本の良さを楽しみに来てもらうのはいいことだが、民泊を制限して、やたらにホテルや飲食店を作ってきたのは行き過ぎではなかったのだろうか。
今回のコロナ禍では、食料品までは途絶えなかったが、果たしてまた別の災厄が起きた時に「備蓄がない、自分で製造できない生活」がどこまで危ういものなのか。
疑いなく信頼していたサプライチェーンは、自然の脅威によっては寸断されてしまうこともある。
だから「ほどほどの分業」というユルい考え方も、これからは必要になってくるだろう。
合理性ばかりの追求は、思わぬ脆さを持っているということが今回の教訓だ。