藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

健康の構造

*[福祉]バリアーあってこそ。
介護施設などで、ゆっくり、あるいは歩行器につかまって歩く高齢の人たちを見ていると、人によっては「日に日に」速度が遅くなったり、転倒しそうになったり、身体機能が明らかに弱っていくのがわかることがある。

平坦な道ばかり歩くことに慣れていると、どうしても筋力が弱っていくことがよくわかってしまうものだ。

 

ところで、先日実家に帰り数日を過ごした。

畳に布団で寝起きし、物干し台に上がり、よくある民家の急な階段を上り下りしていると、自分の体がついていけてないことに初めて感じた。

つまり高齢者の衰弱と同じことが、50代の自分にすでに起こっていたのである。
 
薄い布団に横たわり、寝起きにそのまま立ち上がるのが結構しんどい。
体の節々も少し痛み、少し高めの階段の段差は、特に降りると膝に痛みを覚えた。
また家の中には部屋と部屋の間に必ず段差があり、玄関から部屋、部屋から部屋への移動にも、必ず踏み台運動のようなものが必要になる。
まあ気が抜けない。
ベッドではない布団の上げ下ろしも数人分やろうとすると相当な重労働になっている。
お風呂も段差はあるし、湯船は毎日丁寧に洗わねばならないなど、まるで機能維持の訓練をしているトレーニング施設のような気分になった。
 
そうだ。
88になる自分の父親が自炊し、一人暮らしをしていてもそれほど身体機能が落ちていないのは、この"一戸建ての構造が重要な訓練施設の役割をしている"のだ。
それに比べて自分の住むマンションや、介護施設などは「いかに抵抗がないか」との観点で作られているので、これは逆に言えば機能を落としてしまうための住宅と言うふうに見えなくもない。
 
日常の生活能力を落とさないためには、いかに「日常で訓練する環境を作るか」に尽きると思う。
巷の「バリアフリー」を標榜する部屋作りは、今一度コンセプトを「プレ・バリア」のように、何でも抵抗を取っ払えばいいものではないのだ、ということをこれから考え直す時代になるだろう。
 
実家で得た教訓でした。