藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

警告の文明(2)

*[ウェブ進化論]祭りのあと。

自分の部屋で、"何一つ自分では作り出せないもの"に囲まれて暮らしている。

ということに、コロナ騒動で気付かされた。

技術の発達や、分業の社会は実に便利だが「自分の生活力の脆さ」を露呈したのだと思う。

よくコンピュータやネットワークで「脆弱性の診断」などというが、現代人は「単体で生きる」ということについては絶体絶命、脆弱の塊である。(そう考えてみると"料理人"というのはサバイバル能力が高い)

で何がいいたいか。

文明論とか環境主義とかいうことではなく。

 

「これからも起こるだろうパンデミックとか震災とか台風とかについて」をそろそろ学んでおいた方がいいのじゃないだろうか。

一言でいうと「やり過ぎはよろしくない」ということだ。

究極まで「便利と低価格」を指向し、ギリギリ限界のスピードを追求するようなやり方は、一旦どこかでエラーが起きると全体が機能不全を起こす。

『 例えば「衣食住の最低限」は国内でまかなえる基準を作る』とか。

『緊急時の生活物資は地域で完結できる』とか。

「観光立国」とか「輸出大国」とかいうのもいいけれど、行きすぎるとイザという時に生活が覚束なくなる。

 

何がなんでも都心に集まり、熱狂するように極地で分業に明け暮れる…

自分の知る限り世界各地のテロとか、日本の災害とかを何度も見ていて、そして今回のコロナを経験して「ああ行き過ぎていたなぁ」と感じた人は多いのではないだろうか。

 

熱狂のままに人生を終わるのも、いいのか悪いのか。