藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

勝敗の幻想

*[次の世代に]二極はめぐる。

昔から変わらないことだとは思うけれど。

だって平家物語

盛者必衰。

つまり勝ちとか負けとか、先頭かビリかとか、上か下か、とかいうのはいつの時代も「どんどん入れ替えって」いくものなのだ。

戦国時代に成り上がって城主になってから滅亡した、とか。

エリート学生で出世したけれど、案外不幸せとか。

子供のころはいじめに遭っていた子が大成功しているとか。

細かいところではいくらでもある。

 

ここでもキーワードは「周回遅れ」だ。

今自分が先頭集団に入っているな、と思ったら必ず「そのうちビリになる時がくるだろう」と予想しておく。

また今「かなりヤバい負け組にいるな」と思うときは「近いうちに必ず挽回のチャンスはある」と冷静に考える。

自分のたかだか半世紀の過去を振り返っても、自分も周囲もこの「周回遅れの原則」が基本になっていると思う。

 

「成功か失敗か」とか「先頭かビリか」という観点そのものが、もはや昭和の遺物のような考え方になりつつあるが、まだ世の中の対立軸の主流はそんな二極化が占めている。

そんな「二極化モデル」が風化して無くなるまでは"勝敗は繰り返してこそ"が世の中の営みなのだと思った方がいいだろう。

 

禍福は糾える縄であり、万事は塞翁が馬なのだ。

古人の言うことは、やはり正しい。