藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

0を1に

*[次の世代に]なら走るを

新しいこととか、思いついたアイデアとか、そういうのがハナからうまくいく、ということなど殆どないものだ、ということにようやく気づいた。(嘆)

思いつきや発想は良くても、まだ検討が充分でないから「穴だらけ」なのだ。

それを深く検討しないままに手を染めると、大抵「痛い目」に会うことになる。

思えばこれまで何十回そんな体験をしてきたか。(嘆々)

七転び八起きとは誰がいったのか、と遠い目をしつつ。

それでも新しいことはやりましょう。

ということで。

新しいアイデアは、何かの不自由とか問題があるのを見て、その解決を考えて思いつくことが多い。

それはいい。

ただその解決は"一筋縄"ではいかないことがとても多いのだ。

(だから問題なのだけれどね)

なのでヒントが浮かんだことに、小躍りして喜んでいてはいけない。(単純)

むしろ「そこから」が重要なのだ。

とはいえ、何かの「スタートライン」に着いているのは間違いない。

そこで落ち着いて「こんなこと、あんなケース」とか「できそうなこと、無理っぽいこと」何かをあれこれ考えてみる。

自分はいつも、走り出してから躓くタイプなので(痛っ)、これまで何度もつまずいたことにようやく気がついて、こんなことを書いている。

 

そして、けれど、負け惜しみではなくやはり「走り出す」というのは「0か1か」と同じくらい大事なことだと思う。

 

走るか走らぬか。

どちらかなら走ろう。