藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

異環境と接触

*[次の世代に]今を楽しむ力。

自分が小学校のころ(1970年代)には、一家で長屋に住み、継ぎはぎの「お下がりの衣服」が当たり前で、お世辞にも裕福とはいえない家庭が多かった。

 

それでも友だちの家に遊びに行くのは新鮮で、お母さんたちが工夫して出してくれた手造りのお煎餅や芋菓子などは驚くほど美味しかったことを思い出す。

(なんで人様の家とか外で食べるものってあんなに美味しかったのだろうか)

(というような記憶を引きずって自分は今も居酒屋に行っているような気がする)。

それはともかく。

 

最近一人暮らしのお年寄りとか、施設で暮らす親子の人たちと知り合うようになって思い出したたのが、その「昭和の家庭のお母さんたち」のことなのだ。

 

例えば家族に重い認知症を発症した高齢者とか、あるいは遺伝や疾患で障害を持つ子供がいるとか。

そうした人たちに共通するのは「"今"を基準にして生活をする態度」である。

自分の身を不幸と今を嘆いたり、行政の施策を批判したりはしない。

むしろ「今ある家族や人間関係に感謝して、今できる最善を尽くす」ということをどこかで体得しているように見える。

そして、そこで思う。

たぶん「満たされないことや政治の不徳を嘆くよりも、よほど充実した生活の仕方があるのだ、と。

 

まるで仏教の教えのようだが、「今ある環境で一番の幸せを感じる生活をする」ことができるのだ。

 

そんな経験からも、「自分が普段触れ合わない人たちと交流する」というのは自分に思わぬ気づきを与えてくれる。

意識してそういう機会を作りたいと思う。