藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

選択の意識(1)

*[ウェブ進化論]妥協するにせよ。

「妥協」という言葉の対義は「対決、対立、決裂」だという。

そういう軸で見れば、自分の人生などまるで「妥協の塊」だとも思えるけれど、人生ではそうした妥協をしない人たちも、またいるものだ。

音楽とか芸術とか、そんな道に進む人はまさにそうだろう。

生産性とか、いやもはや「創造的かどうか」さえ分からないような「道を追求しながら食べてゆく」どれほどの"獣道の彷徨"なのだろうか。

より簡単にお金が得られ、しかしそれほどやりたいかどうかは定かでない職に就くことをせず、あくまで自分の技術や創造力を生活の柱に据えて生きていく。

その姿は求道者のようでもあるし、つまりまさに"芸術家"と表現するほかない。

 

一方、妥協を重ねながら、何とか周囲と折り合いをつけて生活の骨格を作る人たちも決して間違っていないし、愚かなわけでもない。

「妥協の産物」という言葉があるが、それはそれで相当な忍耐も必要だし、そういう生き方もまた一つの選択である。

一番大事なのは、岐路に立って「意識して自分が選択する」という明確な自覚ではないかと思う。

所詮「結果は右にも左にも転ぶもの」だから、必要なのはいつも"納得"とこれからの"決断"なのだ。

 

(つづく)