*[ウェブ進化論]全員が哲学者に。
最近「人類がついに労働から本格的に解放される」というようなことを書いている。
この本、いま3回目を読んでいるのだが、「哲学が始まった理由」と今の「人類の労働からの解放」がとても似ている構図なのだと気がついた。
哲学が始まった原因は「農業が生まれて"穀物の保存"ができるようになって貧富の格差が生まれ、富裕層が抱えた食客が"ひたすら思索する"ことから始まった」という。
食客、つまり「労働せずに食べていける人たち」から哲学が生まれた、と。
それまでは狩猟や農作業で、哲学どころではなかったのだ。
それが今の世の中と似ていないだろうか。
先進国ではデスクワークに変わってはいるものの、依然自分たちは「労働」からは解き放たれてはいない。
ITツールなどを使って、むしろ「労働の量は増えている」と言ってもいいだろう。
それがコンピューターやAIプログラムの圧倒的な普及によって「圧倒的に労働がなくなる時代」が来るのだとしたら、それは紀元前の「富裕層に寄宿した哲学家」のような存在になるのではないだろうか。
そして数少ない"富裕層に養われる食客たち"ではなく、これからは「大部分の人が食客」のようになる可能性がある。
そうすると「みんなで哲学」をすることにもなるだろう。
二千年、いや三千年のサイクルを経て、今度は「みんなが哲学する時代」が訪れるのではないだろうか。
「ベーシックインカムはいかがなものか」とか「議会制民主主義の将来は」というようなことをみんなが真剣に考える時代が来るかもしれない。
有史以来の「二回目の知の爆発」が来るのではないだろうか。