哲学というのが、宇宙とか、宗教とか神とか、人間とか、自然とか、そんな壮大なものの原理を考える学問であり、そしてその起源は「富裕農家に雇われた食客から始まったもの」なのだという。
そうだとしたら、「貧乏人はそういうことを考える余裕を持たない」ということになる。
それは現代人の自分たち一人一人にも当てはまることで、毎日毎日あくせくと目の前の用事ばかりしていては「大きなことを考える余裕」は生まれない、というのは納得できる話ではないだろうか。
で何が言いたいか。
つまり「自分の時間の中に"食客"を作る必要があるのではないか」ということを思っている。
ビジネス書を読んだり、習い事をしたり、ゴルフをするのも楽しみだ。
けれどそういう「即物的な結果の見えるもの」ではなく「自分の人生」とか「自然との調和とは」とか「文明の将来」とか「太陽と地球」とか「人類と科学」とかいうちょっととっつき辛いテーマを考える時間を意識して作る必要があるのではないかと思う。
ネットに常時接続し、ニュースやSNSで、今までにはあり得ない量の情報が入ってくる時代になっている。
哲学する暇などありません、と。
今ほど「哲学しにくい時代」は、かつてはなかったかもしれない。
あえて"哲学"、を日常に取り入れる必要があるのではないだろうか。