藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

考えるシシュポス

*[ウェブ進化論]どこまでも繰り返し。
自分たちは、長らく手書きで書いていた文字を、ここ数十年で猛烈にタイピングするようになった。
それらがデジタルで記録に残るものだから、劇的に文字データは増えている。
手書きのメモみたいなものも、印刷せずに記録できるからだ。
そしてさらに音声での入力も容易になっている。
インプットとその記録はどんどん増えている。
そうしてそんなインプットを、自分たち人間は「目で読む」。
今度はテキストを「再び目から入力」しているわけだ。
そして、その目からの入力情報をもとに頭で考え、また「文字として出力する」ことになる。
 
自分たちは「文字の"入力と解釈と出力"」を永遠に繰り返す生き物なのだ。
不思議不思議である。
 
それを叡智と言いながら。
自分たちはメソポタミア時代から文字を使い、もう5000年もそんなことを繰り返しているらしい。
この5000年に間に、科学技術は確かにすごく進歩したけれど。
戦争とか紛争はいまだになくならない。
環境問題とか、進歩と同時に発生する問題にも追われている。
私たちは何をやっているのでしょうか、などとも思う。
 
それでもこれからも「入力とアウトプット」を繰り返して進化してゆく人間というのは、何かシシュポスにも似た「果てしない徒労」のようにも思えてくるが、それでも少しづつ文字を使った知恵が進化しているのだと思いたい。
 
いつかこの世から争いがなくなりますように。