藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

転倒考(1)

*[七つの習慣]転ぶが前提。
先日、高齢の父が路上で転倒して顔を数針縫う怪我をした。
これからますます歳を重ねるにつれそうした危険は高まっていく。

つまりまた同じ事は、かなり確かに起こるだろうということだ。

 

"それ"がわかっている上で出来ることは何か、を考えているうちにこれは「仕事や人間関係でも同じこと」なのに気がついた。
自分たちは、普段歩いていても自転車に乗っていても、そして日常の仕事や家族との暮らしの中でも「できるだけ転ばないように」という風に考えている。

さあこれから転ぼう、という人はいない。

だがこれは、裏返していえば自分たちは日々「転ぶ前提」で暮らしていることにもなる。

つまりは人生で“何度か必ず転ぶ“と言っていいだろう。

それならば。

ならば転ばないようにする、ということと同じくらい「転ぶときの"転びかた"」や、だから「転ばぬため」の防止策や、いざ実際に「転んだときの対策」を考えておくことは欠かせない。
転んでも骨折したりせず、できればすり傷ぐらいですませたいと思うのだ。
 
なにせ自分たちは必ず転ぶのだから。
そしてこれから「おそらく転ぶだろう」と」と事前に分かっていることは案外あるものだ。
(つづく)