藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

時間給という悪魔

*[ウェブ進化論]物差しは何か?

自分が高校時代に初めて時給600円でアルバイトして以来、ずっと抱いている強烈な疑問がある。

「人は時間で買われるのか?」ということだ。

「自分は今確かに、一時間600円で買われている」というはっきりした自覚が自分にはあった。

それは安いな、とも思わなかったが、それでも「自分は時間で買われている人間なのだ」という思いは強く残っている。

 

そしてそれから社会人になって月給制度になっても内容はあまり変わらなかった。

自分の仕事がどれだけの業績に結びついたのか、ということは案外分かりにくく、また「何もかも売上や数字で計る」ということが良しとされない風潮がいまだにある。

 

日本人は和を好むという。

結局「何事も数字で白黒つけるのではなく、安定的に暮らす」というのが本質的には好きなのだろう。

コロナ禍のテレワークで一瞬「ホワイトカラーの生産性」に焦点が当たりそうになったけれど、また元に戻りつつあるようだ。

 

自分は「数字ではなく安定的に暮らす」というのも立派な方針だと思うけれど、その一方でコスパだタイパだと局所的に数字を突き詰めるのは矛盾しているという気がする。

 

IT業界などは未だに「一人月」とか「一月160時間」といった計算方法が主流になっているけれど、成果評価型にするのか時間評価に徹するのか、ということをはっきり表明しないとこれから業界に入る若い人にメッセージがはっきりと伝わらないだろう。

 

重要なのははっきりした意思表示なのではないだろうか。