藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

時給という悪魔(1)

*[ウェブ進化論]自分を時間で売る、ということ。

自分が初めて時間給でアルバイトをしたのは高校生の夏休みのことだった。

『自分の労働が「一時間に600円」という対価で精算されること』に、感慨を覚えたのを鮮明に記憶している。

「俺は今、時間で買われているのだ」というのが新鮮で、でも虚しくもあり、けれど「社会的に初めてお金で評価されている」ということに、何か社会参画をしているような錯覚を覚えたのだ。

「人はお金で買えるのだ」ということを自らがリアルに体験した瞬間だった。

そして"その感覚"はその後も今までずっと続いている。

 

自分の時間や他人の時間は、果たして「お金で贖えるもの」なのだろうか。

けれど実際に時給換算で働く人は存在する。

 

そして自分もサラリーマン時代は「月給+残業代」という枠組みの中で働いていた。

そして「会社に時間さえ差し出せばお金がもらえるシステム」というのはどこか"奴隷制度"を彷彿させたのである。

「労働の中身を問わずに、時間で測る」という悪魔のような仕組みは、その後も連綿と続いている。

 

この世から「労働」がなくなるだろう、AIとロボットの自動化が実現する時代には「時間で労働を買う」という概念がなくなっていると思うけれど、ともかくここ数世紀は「時間労働が人間を縛りつけた時代だった」ということになると思う。

 

後世から見れば「ある種の奴隷制度」と解釈されるのではないだろうか。

(つづく)