藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

時間の空気

*[次の世代に]若さのシルシ

例えば週末に会おうか、という話になってもいつにするのかをギリギリまで決めないとか。

さらに、週末のその日に何時ごろにどこで集まり、その後どこかで何をするのか、というようなことを当日になっても互いになかなか連絡しないとか。

あるいは自分のその日の予定とか段取りについても特に伝えないとか。

ああそれがセイシュン。

 

先日渋谷の駅前での女子高生くらいの二人の会話。

「久しぶりー」

「ホントだね!」

「今日どんな感じ?」

「フリー。これから何する?」

そんな会話を聞いていて「若い」ってそういうことだったかもしれないなぁ、と気づいた。

待ち合わせをして「きっちりと何かの目的を設定しておいてそれを段取りよく熟(こな)す」というのは実は年寄りのセンスなのだ。

多分「ダラダラしたくない」という無意識の焦りがあるのだと思う。

 

改めて若い人に聞いてみると「約束した日の夜に前触れなくLINEしてから集まる」ということは珍しくないらしい。

ネットのおかげで「連絡のための距離感」が限りなく近くなっているのだろう。

そんな「ユルい時間の使い方」を見ていて、それがどうにも羨ましい感じもする。

 

そういえば自分の二十歳くらいもそんなだった。