藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

デジタルツールの使い回し。

会社で隣同士の人がメールでケンカしている、とか
付き合っていた男女のお別れがメールで突然来たとか、
退職願いとか、大事な予約とか就職辞退の連絡がメール一本でやって来ることもあるらしい。
ちょっときわどい件名のメールって、本文を読むのにドキドキしてしまう。

デジタル世代の自分たちもe-mailの出たころは驚いたものだ。
よく言うことだが地球の裏側からのメールも数秒で届く。
「時間と空間を超えた」とか「情報革命だ」という話は当時はよく語られたものだった。
今の70代より上のアナログ世代の人は、メールを使い出すのは遅かったがそのインパクトは自分たち世代よりも何倍も大きかったようだ。
新幹線や航空機に驚いていたら、それこそ光速に近い通信媒体に出会ったのだから無理もない。

で、もうメール通信も当たり前になり、独特の「メール文化」が生まれた。
今でも「重要な連絡はメールじゃなく会ってからすべき」というようなことはよく話題になるけれど、一昔前よりも「メールででもまず知らせるようなこと」は確実に増えてきていると思う。
スピードの威力は恐ろしい。

さらにメールの利点は相手の邪魔をしにくいことだろう。
電話というのは、相手を呼び出してリアルタイムに時間を割かせることになるので、まあ掛けるにもある程度の勇気がいる。
つまりどうでもいいようなことでわざわざ電話するのはよほど親しい人同士だし、よほど親しい人でも「何してるの?」なんて会話はとんと無くなったと思う。

あまり重要でない呟きが、SNSで結構流行っているのはそんな「ユルいやり取り」をお互いに邪魔せずやり取りできる、という点が受けたのだろう。

通信というのは起源は「狼煙の合図」にあるというけれど、現在の形はコミュニケーションの一つの完成形ではないだろうか。
今盛んに話題になるIoTも、通信の端と端にあるコンピューターがどんな役割をするかということが話題で、いよいよ「通信そのもの」ではなく通信の両端にある「モノ同士」が進化する時代になってきたような気がする。
世界中のモノや人にコンピュータがくっついて、今までにない何かをネットワークするのがこれからだとすれば、デジタル化の進化はようやくこれから本格化するのだと思う。
そう考えると、まだまだこれから色んな可能性がありそうだ。
まだ見ぬ世界を想像するのって大変だけれどワクワクする。