ひょっとして。

大企業のマンモス体質はもう保たない、なんて言うと以前はよくあるアンチテーゼだと思われた、と思う。
けれど、最近大企業の人と話していても、何か「間近に」そういうことを感じる。
彼らもそうした「何か」を感じているようだ。

大企業って、ひょっとしたらもう「もたないのじゃないか。」という漠然とした疑a問だ。

アメリカやEUの企業が違うのは「意思決定システム」の明確なことだ。

日本では大企業かどうかを問わず、「オーナー系でない大企業」は生存が難しいのではないか。
さらに、オーナー系は「その後」が続かず、一代で終えること。

90年代バブルの頃には、そうした経営論を研究する大学教授も多かったが、今は一時に比べれば随分と静かな感じがする。
昨今の大企業の仕業を見ていると、始祖時代の恐竜とかマンモスの話を思い出す。
今再び、組織管理とかガバナンスとか、さらに最適な「発育の単位」とかいう観点での組織論が生まれるのではないだろうか。
ウェブが関係していることは間違いないけれど、再び「新しいステージ」が始まろうとしているような気がする。

大企業でもない、ベンチャーでもない「新しい形」はすでに萌芽しているような気がする。

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「財閥」でも支えきれず 日産・三菱自再編 開発投資が巨額に

 「ご迷惑をかけて誠に申し訳ありません」。日産自動車との提携会見の翌日となる13日。東京・丸の内の三菱商事本社に三菱グループの企業約30社の首脳が集まった。月1度、金曜日に開かれることからグループ内で「金曜会」と呼ばれる会合の冒頭、三菱自動車の相川哲郎社長が硬い表情で謝罪すると、足早に退席した。会ではその後、三菱自の話題は出なかった。

2004年、中川経産相(前列右端)と会談する三菱グループ首脳(左から佐々木三菱商事会長、西岡三菱重工業会長、岡崎三菱自動車会長、古川同副会長)
2004年、中川経産相(前列右端)と会談する三菱グループ首脳(左から佐々木三菱商事会長、西岡三菱重工業会長、岡崎三菱自動車会長、古川同副会長)

 グループによる三菱自の救済に3度目はなかった。2000年と04年に死傷事故につながる欠陥を隠蔽したリコール(回収・無償修理)隠しが判明。グループ「御三家」と呼ばれる三菱重工業三菱商事三菱東京UFJ銀行が総額6000億円の優先株を引き受けて支援した。三菱自三菱重工の自動車部門から独立したこともあり、三菱重工西岡喬会長(当時)がグループ内の支援反対派を説得。自ら三菱自の会長も兼務して再建を主導した。

 しかし、今回は違った。「仏の顔も三度まで」。三菱自筆頭株主である三菱重工のOBは燃費不正の発覚直後、こう吐き捨てた。三菱自の不祥事は1997年の総会屋事件を含めると4回目。別の御三家幹部も「だらしない」と手厳しく批判する。

 金融支援で要となる三菱UFJフィナンシャル・グループは15年に委員会設置会社に移行した。社外取締役の意見が強く反映されるようになり、「支援の了解を取る手順は格段に厳しくなった」(同行関係者)。三菱重工は大型客船や小型旅客機「ミツビシ・リージョナル・ジェット(MRJ)」の開発が遅れ多額の損失を出した。ユーザーの嗜好が移ろいやすく、技術進化も早い自動車という消費者向けの製品分野で三菱自を技術面で支援できるかは疑問だ。


 仮に支援に乗りだし、急場をしのいだとしても「いずれ日産とこういう形になることは予想していた。三菱自の不祥事で早まっただけだ」(三菱商事幹部)との見方もある。自動車の技術進化が格段に早まり、自動運転車や燃料電池車など次世代車の開発投資も巨額になった。「いくら三菱グループといえども、技術や人材・資金面で今の自動車メーカーを支えるのは無理だ」(同)。今や「三菱財閥」をもってしても支えられないのだ。

 「こうなったら災い転じて福となす、かもしれませんね」。三菱グループ首脳の一人はこう話す。幸いにも日産のカルロス・ゴーン社長は提携会見で、「三菱グループの力を活用したい」と述べた。日産が攻めあぐねている東南アジアでは三菱商事が培った現地政府の人脈や販売網を生かしてシェアを一気に引き上げたいとのゴーン社長の思いもある。

 三菱商事の垣内威彦社長も「ネガティブに考えていない」と話す。三菱自は来年、インドネシアで新工場を稼働させるが、三菱商事も40%を出資し、現地で売れ筋の小型多目的車(MPV)を生産する。日産の出資が決まれば三菱商事の出資比率は低下するが「人材の派遣やアジアなどの海外展開でできるなら協力を続けたい」(垣内社長)と日産との提携後の事業拡大に期待をかける。

 三菱自の事業再生の先導役は三菱グループから日産に移る。日本最強の企業集団である三菱グループが日産との提携でどう変わるかも焦点の一つだ。