藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

練習は練習ではない

*[ウェブ進化論]練習の意味。

自分は昔から人前での演奏とかスピーチが得意ではない。

かの大前研一さんですら、プレゼンテーションの前には何度もビデオに撮って改善を重ねた、というから凡人が十分な事前準備をしないのは「だから言わんこっちゃない」という話でしかない。

子供のころはともかく、大人になってからはそんな理屈を知っているからかなり練習するようになったのだが。

けれど今一つ結果が芳しくない、ということに長年疑問を持っていた。

「結構練習したのに今一つ伝わらないな」ということが何十年も続いていたと思う。

 

そして先日、理由が判明した。

駅や空港のストリートピアノ演奏を見ていた時に気づいたのだ。

マチュアとプロの差とでもいうか。

いやアマチュアでも、きちんと「本番としての演奏」ができている人もいることに。

そして恐る恐る自分も演奏してみたのだが、果たして「本番として弾けていない方」だった。

そして気づいたのは「本番の練習をしているかどうか」だということなのだった。

 

自分たちは普段自宅で練習している。

それは、いわば「練習としての練習」である。

「本番をイメージしての練習」ではなかったのだ。

かくして練習は「ただの練習」であり、「本番とは全く別物」になってしまっていたのだ。

 

街中のストリートピアノであれ、自宅であれ、大人数の前の本番であれ「今が本番のメンタリティ」を想定することが近道なのだと今ごろ気づいたのだ。(嘆)

 

自分の中では、目からウロコでした。