藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

仕事の"棚卸し"の時代。

人間が行う仕事の約半分が機械に奪われる―そんな衝撃的な予測をするのは、英オックスフォード大学でAI(人工知能)などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授である。

人類たるもの、恐れてばかりいては情けない。
けれど、自分の仕事がどれほど「機械じゃできないことなのか」というのは非常に重要なテーゼだと思う。
常々「これって自分じゃないとできない判断だろうか」とよく考えるのだが、もっと言えば「優秀なコンピュータ」なら十分判断できるだろうな、と思うことは少なくない。

さらには投資とか、撤退とかいう重要な判断もこれまでは「経営者の勘」とか「ポリシー」「哲学」などと言われていたものも、細分化してみれば「ある傾向のデータの塊だった」ということになりそうだ。

「好み」とか「相性」という今自分たちが逃げ口上にしてしまっていることも「その中身はナンデスカ?」と分解されてしまえば、案外神秘的なものでもなくなるかもしれない。
「人の仕事はなくなるのか」という問いは、すなわち「人の仕事ってなんだろう」ということだ。

AIとIoTブームの到来は、自分がやるべきことと、人や機械任せるべきことと、「それでもあえて自分でやりたいこと」を今一度棚卸する機会を自分たちにもたらしてくれているような気がする。

仕事の棚卸しって、会社の決算にとても大事だが、
"人生の棚卸し"って実はもっと大事だ。
自分の倉庫には、一体どんなものが詰まっているのか。
これからは何を作っていくのかも考えなくっちゃ。