藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

まずはリアルから。

年金の話。
つまるところ、定年に達した先輩たちの生活を「現役世代の社会」がどうするかという問題だ。
「どげんかせんといかん」という観点で「まず対処を」考えなければ今の現役世代の「名折れ」になるのではないだろうか。
方法論で、公平とか不公平とか、「賦課方式か積み立てか」という話は尽きないが、それでも貧困で干上がってしまう目上の世代を見過ごすのはしたくないと思う。

ともかく。
ともかく。
昔の武士で言えば「しばらく、しばらく。」

制度論や設計を話す前に「絶対に飢えさせないセーフティネット」は是非作りたい。
いろんな議論はその後にゆっくりすればいいと思う。

物事の順序は間違ってはいけない。

公的年金保険の誤解を解く(1)多くの日本人は貯金と勘違い 慶応義塾大学教授 権丈善一
日本の人口の高齢化は今後も進行し、日本は大変な高齢社会を迎えます。65歳以上の人口比率は2016年の約27%から、60年ごろには40%になると見込まれています。

 高齢期に必要となる医療や介護、そして年金などの制度は、日本では基本的に現役のうちは引退世代の給付を負担し、自分が高齢期になると現役世代から給付を受けるという、いわゆる賦課方式を採っています。

 こうした制度は、今後の超高齢社会では維持できなくなるのではないかと不安に思う人も多いかもしれません。そこに「少子高齢化の影響を全く受けない方式があります。それは現役期に自分で将来必要となるお金を積み立てておく方式のことです」と言われれば、飛びつきたくなるのも分からなくはありません。過去には実際、年金財政を積立方式にすべきだという議論が盛り上がったこともありました。

 しかし、本当は、少子高齢化の影響を全く受けない年金などあり得ない話なのです。ところが、積立方式の確実性を主張する有識者もいるため、それを信じる人も絶えないようです。

 この連載では、そのあたりの誤解を解くためのキーワードとなる「Output is central(生産物こそが重要)」という考え方を軸に公的年金保険に対する誤解について論じていきます。なお本連載では可能な限り、年金のことを正確に「公的年金保険」という言葉で呼ぶことにします。この公的年金保険を、お金が積み立てられる貯蓄と勘違いされると、議論のスタート地点から話がかみ合わなくなるからです。

 ちなみに年金は、1959年までは厚生省(当時)の中の保険局の中で、医療保険と一緒に扱われていました。皆保険、皆年金の施行を前に、年金部門が保険局から独立し、年金局が創設されたという経緯があります。その時、一方を皆保険、もう一方を皆年金と呼んだために、半世紀以上たった今では、日本人の多くが公的年金は保険であることをすっかり忘れてしまったようなのです。

 けんじょう・よしかず 62年生まれ。慶応大博士。専門は社会保障政策