藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

時速30キロ以下で運転せよ。

そこまで「フルオート」にする必要があるのかどうか、ということはともかく。
自動運転は、時代の華になっている。
街の路地裏から、駅前のターミナルや高速道までをくまなくカバーする必要がどこまであるのか、とも思う。

それよりも気になるのが「規制サイドの論者」だ。
やれ事故が起きた時の法律がどう。
自動運転のハードウェアの製造責任がどう。
同じくソフトウェアの開発責任がどう。
それらを定義する法律のあり方がどう。
どう、どう、どう。

規制だらけでまとまらない、っていう例のやつだ。
エラい人が「いかがなものか」というスタンスで進行を止めるのは、現代の風物詩だといっていい。
もうたくさんだと思う。
「いかがなものか」ではなく「いかにするか」だ。

例えば直線だけに試行する、とか。
時速30キロ以下で走らせる、とか。
決まったルートに限定する、とか。
どんどん試しながら開発しないで「最初から完全な精度」を求めてコスト倒れになるのは、よくあるお決まりの失敗例だろう。

これからのAI活用はそうした思想で実践しないと、時間ばかりが経ってしまう。
"いかがなものか"には退場いただきたい。