藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

私の原点25−「7つの習慣」−その2

paradigm
【名-1】 パラダイム、理論的枠組み{りろん てき わくぐみ}、模範{もはん}、実例{じつれい}<英辞郎on the web>




これは何に見えるだろう。
若い女性か、老婆だろうか。(ref.7つの習慣p18,20,49より)

パラダイムと「原則」。

訓練艦隊に属する二隻の戦艦が、悪天候の中、軍事演習のため数日間にわたり航海を続けていた。


私は先頭を行く戦艦のブリッジで夕暮れを迎えた。


視界が悪く断片的に霧がかかっていため、艦長もブリッジに残り、状況を見守っていた。


暗くなってから間もなく、ブリッジの見張りが次のように報告した。
「艦首の右舷側の進路に光が見えます」
「停止しているのか、船尾の方向に動いているのか」
と艦長。
見張りの答は、
「停止しています、艦長」


つまり、その船はこちらの進路上にあり、衝突の危険があるということだった。


艦長は信号手に命じた。
「その船に対し、信号を出せ。衝突の危険があるため、二十度進路を変更せよ、と」


相手からの信号が返ってきた。
「そちらの方が二十度進路を変えるよう助言する」
艦長は再び命令した。
「信号を送れ。私は艦長だ。二十度進路を変えるように」


すると、
「こちらは二等水兵だ。そちらの方こそ二十度進路を変えるように命令する」
と返事が返ってきた。


艦長は怒り出し、
「信号を送れ。こちらは戦艦だ。二十度進路を変えろ」
と叫んだ。


点滅する光の信号が返ってきた。
「こちらは灯台である」
我々は進路を変えた。(ref.7つの習慣p30より)


著者は言う。


我われの「パラダイム」は、
『我われ自身の「経験や条件づけ」によって作られている、と。』


それぞれの人に、それぞれのパラダイム。価値観、と思えば分かりやすい。


「絶対」のモノではないのだ。


そして、「パラダイム」の底に、いつの時代も動かない「原則」(先の〝灯台〟)がある、と。


『公正さ』
『誠実』
『正直』
『奉仕』
『貢献』
『可能性』
『忍耐』
『犠牲』
『勇気』

議論の余地すらない。


そりゃこれを備えれば「幸福」になるだろう。


なので「これらしか、ない。」


スポーツや音楽などの上達に「地道な練習」が必要なことは常識。

だが、自己や家族、組織などに同じ努力を払おうとせず、「how to」に飛びつく姿勢を厳しく戒める。

企業も同じ。

「高い生産性や品質、あるいは顧客満足度を確保できる新しい企業文化を「購入」しようとする。(中略)そして、自分の使っているテクニックが思うような結果を生み出してくれないとなると、今度は別の個性主義に基づくテクニックを探し始める」と。

徹底してhow toの排除。


問題は外にある、のか。(アウトサイド・イン思考)

「自身の内面を変える」アプローチを「インサイド・アウト」。
問題は「外」にあり、それらが「変わるか、なくなるか」するのを待つのが「アウトサイド・イン」。

著者は「内面からの改善」が外部へ向かって持続成長する様子を、「上向きの螺旋(らせん)」と表現する。


アウトサイド・イン思考の人々は「被害者意識に悩み」「自由を束縛された」不幸な人々であり、不調の原因を「周りの人や環境のせいにする人々」。


彼らに幸福な者はいない、と断ず。


そりゃそうか。どれほどの障害であれ、事あるごとに「あいつのせいだ」「あれさえなくなれば」などとつぶやいていては、女神も逃げるワ。


How to全盛の今、地味で苦しい作業だが
インサイド・アウトへのパラダイム転換」を肝に銘じたい。

「習慣」の力。

私たちの人格は、繰り返される習慣の結果として育成されるものである。
昔の格言に「思いの種を蒔き、行動を刈り取り、行動の種を蒔いて習慣を刈り取る。習慣の種を蒔き、人格を刈り取り、人格の種を蒔いて人生を刈り取る」。
(ref.7つの習慣p50)

思い→行動→習慣→人格→人生へ。


「思い」を刈り取る場面のないのが面白い。当然か。

習慣は極めて強い引力を持っている。それはたいていの人が考えている以上のものである。後まわし、短期、批判、わがままなど、生活を支える原則に反する深く根づいた癖を捨てることは弱い意思とわずかな努力だけでできるものではない。しかし、その引力からいったん脱出すすれば、全く新しい次元の自由を手に入れることが出来る。

タバコを止める大変さで、よくわかる。とかく、「悪癖」は身につきやすく、やめ難い。今の私は、お酒。


相互依存への道

著書の「人生の扉を開く」の最後では「相互依存」が説かれる。


現代の「個性主義」は「自立し」さえすれば〝ゴール〟とする雰囲気が蔓延。
そう、「自立パラダイム」。


先を見ていない。と


現実の社会で必要なのは、その先の「相互依存」。


これは、「本当に自立」している人が「相互に依存(協働)」すること。


私はこういうの、好きです。


7つの習慣」では
一、二、三の習慣を「自立のための習慣」。(私的成功のための習慣)


四、五、六の習慣を「相互依存の習慣」(公的成功のための習慣)と呼ぶ。
(七番目は、一〜六のメインテナンス)


「心の扉を開く」の末尾はこの言葉で締めくくられている。

「誰も説得によって人を変えることはできない。すべての人は堅くガードされた〝心の変化の扉〟を持っており、その扉は中からしか開けられない。説得や感情に訴えることによって他人の扉を外から開くことはできない。(中略)変化と成長の扉を開けるよう心からお勧めしたい。自分に対し、忍耐強くあってほしい。成長のプロセスは行きづまりやすいものだ。自己改善の領域に入ることは、まさに聖地ともいえる神聖な場所に足を踏み入れることである。しかし、これに優る投資はない。」(ref.7つの習慣p74より)

変化の扉を、内側から開けよう。