藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

私の原点24−「7つの習慣」

Dr.パーキンソン、糸川博士、マズローに続き、奥深い影響を受ける。


手元には第29版。

7つの習慣-成功には原則があった!

7つの習慣-成功には原則があった!

原題(The Seven Habits of Highly Effective People – by Stephen R.Covey)


出会いは’97年の池袋。

人格主義と個性主義。

まず、のっけから飛ばしている。これまでの、いわゆる「how to文化」の全否定。


アプローチもイカしていた。著者は、「合衆国建国(‘76)以来」の「成功」に関する文献を全て調査した。


いわゆる自己啓発書、心理学、ビジネス書、論文、記事。「成功の鍵」を全部集めたのだ。


恥ずかしながら、自分は、こういうの、大好きだった。


そして、著者は驚きの事実を発見。

なんと、最近の50年(1950年以降)の文献は、その場しのぎ、いわゆる「対症療法」に終始。

症状は根治せず、何度も再発。

著者はこの傾向を「個性主義」と称す。

まさに「how to文化」。


一方それ「以前」の150年、成功の条件には
「誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、節制、黄金律」が上がり、

自分の「人格の中」に「原理原則」を深く「内面化」させる姿勢。


これを「人格主義」と。

そして、この時代の「成功者の人生」に裏づけとなる「原理原則」を発見。


真の成功はその「原則を体得し、人格に摂り入れる以外にない」と。
<quote>

ところが、第一次世界大戦が終わって間もなく、成功についての基本的な考え方は、急に人格主義から個性主義へと移行した。


 この個性主義では、成功は、個性、イメージ、行動、態度、スキルなど、人間関係をスムーズにする手法やテクニックから生まれるものだと考えられるようになった。そして、この個性主義は、基本的に二つのアプローチに分かれた。


 一つは人間関係や自己PRのテクニックであり、もうひとつは、積極的あるいは前向きな考え方と姿勢である。これらの哲学は、「成功は態度で決まる」「笑顔は友達を作る」「念ずれば道は必ず開かれる」などのうたい文句で表現された。


 そのほかにも個性主義のの中では、明らかに人を操ったり騙したりするための方法論を展開する文献もあった。それは人に好かれるためにテクニックを使い、あたかもその人の趣味に興味を持っているかのようなふりをしたり、あるいは強圧的に相手を脅したりして、都合よく人を利用して人生を過ごすように勧めていたのである。


 個性主義の文献の中でも、人格を成功の要因と認める文献も確かにあったが、それは人格を基礎的なものとして認識するのではなく、成功のほんの一要素として取り扱う傾向にあった。人格主義に触れていたとしてもそれは口先だけであり、あくまでも強調していたのは、影響を及ぼすテクニック、力を発揮するための戦略、コミュニケーションの手法、プラス思考などであった。-----
(ref.7つの習慣p9-10)


これでシビれた。


「個性主義」の、特徴。

「人間関係や自己PRのテクニック」
「前向きな考え方と姿勢」

ふと見れば「それ系の本」のいかに多いことか。


Amazon.com ベストセラーランキングより

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著者は、周囲になじめず、自信を失っていた息子に対し、
「周囲との競争に勝つよう協力し、励ます」それまでの態度こそ「個性主義的」として改め、


まず自分たち夫婦の「人格」を問い直し、そして息子の「人格」を尊重して付き合うようにした。


息子は「自分を素直に表現」するようになって結果、「自立」する。


著者は、この経験から「個性主義」と「人格主義」の差を思い知った、とある。


「個性主義の持つ強烈なインパクトを理解することができた。」と。


「悟った。」とある。(※悟り: enlightenmentだと。これも少し違う。)

結局、そんなに大上段に構えなくとも、割と簡単な話だった。

「真の成功」のためには、自分に本当の「誠実さ」や「人格の良さ」がなければ×。

(ヨコシマなものをハラの底に隠していれば)「化けの皮」が剥がれるぞ、ということ。

なぜなら、「人格は、言葉よりはるかに雄弁だから」。

と言われては、二の句がない。


初めて読んだ当時、「そうかぁ。テクニックの上塗りはダメかぁ。」タメ息をついたことを思い出す。


自分は、完全に「テクニック重視派」だった。


痛かった。


パラダイム固定観念

また、「個性主義」と「人格主義」はともに「パラダイム」と表現され、これが我々の「価値観の拠りどころ」となること。


また、パラダイムは「固定観念」のように働いて、「それ自身を疑わせない」。


ゆえに、自分のパラダイム(価値観の基準)を見直す必要を説く。


また、「天動説と地動説」「ニュートンの3大法則」「相対性理論」「病原菌の理論(発見)」「王権神授説と国民主権」などを用い、「パラダイム転換」の重要性を指摘する。


この辺、糸川先生の「デセンター(de-center:センターを移す)」に同意。


ここでの挿話は、いつまでも忘れない。

<quote>

 ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を私は忘れることができない。乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。すべては落ち着いて平和な雰囲気であった。


 そこに、ひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。


 しかし、その男性は私の隣に座って、目を閉じたまま、周りの状況に全く気がつかない様子だった。子供たちはといえば、大声を出したり、物を投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも騒々しく気に障るものだった。ところが、隣に座っている男性はそれに対しても何もしようとはしなかった。


 私は、いらだちを覚えずにはいられなかった。子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとはしない彼の態度が信じられなかった。周りの人たちもいらいらしているように見えた。私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか。」と言ってみた。


 彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかい、もの静かな声でこう返事した。
「ああ、ああ、本当にそうですね。どうにかしないと……。たった今、病院から出てきたところなんです。一時間ほど前に妻が……、あの子たちの母親が亡くなったものですから、いったいとじうすればいいのか……。子供たちも混乱しているみたいで……」 


 その瞬間の私の気持ちが、想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。突然、その状況を全く違う目で見ることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動や態度を無理に抑える必要はなくなった。私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。

「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」

 一瞬にしてすべてが変わった。(ref.7つの習慣p26-27)


相手の言動が理解できないとき、私はしばしばこの挿話を思い出す。