藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

シリーズこの国を見つめ、より。

「男と女の民主主義」という特集。


以前も目にした再放送だった。


二つの家族が取材される。


一つはいわゆる現代の働く夫婦。
二児の母となり、子育てを一定に引き受けて、ストレスのあまりSOSを出す女性。


一方、シングルマザーとなり、母の手を借り育児に踏み出す女性。


こういった話は、男女を問わずこれから結婚を考える人に、ぜひともレクチャが必要だと思う。


自分にして。(省)

「子育て」というもの。

子どもは生まれたてからしばらくは、動物のようなものだ。


話は通じないし、言葉も発しない。


勢い、表現は「泣いたり笑ったり」。


そして三時間ごとの授乳となれば、母親にストレスがかかるのは当たり前の話だ。


その程度が、男性にはなかなか分からない。(自分はそうだった)


男性は男性で、職場で外部から相当なストレスを受けている場合が多いからだろう。


番組中、何度か女性は「私の働きたい気持ちはどうなるの?」と訴える。


まさに。


誰にも汲み取られない「私の気持ち」が一番「聞いて欲しい、分かって欲しい」ものなのだろう。


踏切を待ちながら、女性は言う「消えてなくなってしまいたい」と。


伝えるべきこと。

ナレッジ、というのか、知恵というのか、あるいは経験というのか。


夫婦というもの。


子どもというもの。


家庭、というもの。


家族、というもの。


あるいは、男女、というもの。


それぞれがかかわり合うことについて、一通りの「ルールの伝承」は必要ではないか。



そうしたルールが、明文化されなくとも継承された時代はいいが、いまどきは意識せねば伝わらない。


・学生となるからには
・一人暮らしするからには
・社会人となるからには
・異性と付き合うからには
・夫婦となるからには
・子どもを持つからには
・家庭を維持するからには


いちいち、家訓のように最低限の明文化したルールはあった方がよい。


このNHKの番組を見て、初めて自分も「子育てとはこれほど切迫した状態を生むか」と改めて自戒した。


私はそれほど偏った生活をしてきたのだろう。


反省しきり、だから「次の世代」に、ぜひとも話しておきたいのだ。



※後日談。
自分の親しい西田弁護士やカワズ君など、親しい人に聞いてみると、みな奥さんに先立って、みずから子どもを風呂に入れ、ミルクをつくり、オシメを変えて子育てしていたそうである。


なーんにもしていなかったのは自分くらいのようだ。(大汗)


猛省。