昨晩はSE教育企画のスタッフたちと徹夜に近いくらいの打ち合わせ。
誕生会など企画してくれた周りの人たちには申し訳ないことをした。
ここでお詫びをしておく。(垂)
自宅で少し飲んで床に入る。
うあー、疲れ…あれ?
つかれ、てないか。
それほど疲れていない。
ほんとか。
でも気がつけば、肩甲骨のあたりは最近持病みたいにゴリゴリに凝っているし、
首筋も痛いし、左の腰もなんだか鈍痛があるし。
十分疲れているんじゃない?
などとヘンな感覚に包まれつつ、なかなか眠れない。
こんな時は司馬遼太郎、とばかりに講演cdを聞きながらぼんやりしてきた頭で考える。
なんだ、この感覚は…
お。
ガバッと起き上がり、メモメモ。
でバタッと寝る。
お疲れさん、は誰か。
今までも何度かあった。こんな感覚。
頭が興奮してると、身体が疲れに気付かないこと。
何か強く気になることがあったり、アドレナリンがドパッと出るような話し合いの後なんかは、たまにあるな。
人の心と体は不思議なものだな、と思いつつ。
ん?
待てよ。
その反対って…ないか?なかったか?
そう。
「ま反対」のことがある。
体は(運動不足だが)それほど酷使せずとも。
「心」が疲れるとグターッとなる。
以前、記事を読んだ方から「このブログを読んでいて、人間の心ってこんなにも弱いものなのだ、と気付きました」というコメントをもらったことがあるのを思い出す。
そうか。
ガンダム。
あまり詳しく知らないが、人間がなんとかスーツ、というやつを操って巨大なロボットを操る。
あれみたいなもんか。
パイロットが「心」
ロボットが「体」。
以前のエントリともかぶってきたが。
大事な癒し
心が疲れていなければ。
体はずいぶんムリも利く。
でも心が疲れていたり、
ささくれ立ったり、
シワシワだったり、
ざらざらだったり、
ヘコんでいたり、
色が悪かったり、
これではガンダムはへなちょこである。
というかヘンな動きすらするだろう。
だから、自分自身で「自分の心の状態をチェックするような意識」は重要なのではないか、と思った。
ささくれだったら、意識して癒してやることが必要だ。
シワシワだったら志を注入してやるとか。
マッサージでもいいかもしれぬ。(謎)
「ワタシ、全然疲れてまへんよ」と自分の心と会話できていれば、ガンダムは永遠に強いパワーで動いてくれることだろう。
ああぁ、疲れた。
そう思ったら実は疲れているのは自分の心なのだ。
「どうしてそんなに疲れているの」と問いかけ、考えて「こんな風にすれば大丈夫さ」と励ましてやる。
ガンダムを操縦する自分をちょっと想像(よく知らないのに)しながら眠りに入る。