藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の潮目


これまでの人生でどの点をとってみても、「十年先」が見通しよくついたことなどなく。


0才では覚えてないし。
10才の時に想像した二十歳は意味不明。
20才の時には三十才など想像だにせず。
30才でも同様に。

いま四十才までの諸君。つまり人生「登り坂」のときには人間「先」のことなどあまりリアルにイメージしないようですな。

多分、30年前からブログを書いていたとしても、あまり「先の見通し」などに向けた話題はないのだろう。
54才になって自分は何をしているか、というのは「終わり」を実感として意識する者の心理状態なのだ。


老成、とはよく言ったもので、そんな状態になったらなったで、きちんと人生に向き合う、とか改めてまじめに考えたりするようだ。


流れが変わるとき


これまでの自分の人生になにか「節目」があったとしたらどうだろう。


進学とか、就職、などがそうか。
交際する友人や異性の変わったときもそうだろう。
結婚、とか家族が増えたり、減ったり、なども。


で、こういう大きな「節目」は見た目にも分かりやすく、また生活環境も顕著に変化するので意識しやすい。
ただ「物理的な環境そのもの」が変わるので「日常生活の変化」にばかり気がいって、むしろ精神的な自分の変化を意識しにくいように思う。


何となく、大事なのはその「精神的な(価値観の)変化」なのだ。


一人暮らしで何かが変わる、のではなくその「決意」が何かを示していないか。


そこでブログなど。

例えば、やはりその時の「自分の最新の考え」とか「価値観」とかを正直に書きとめておく。

そこで、よそにもっともっと高邁なことを話題にしていたり、抹香臭いな、などとおもって妙にスカした風なことを書くのではなく。

そんなものを「ありのまま」に残しておいて、後に定点観測してみれば「潮の変わり目」などを観測できるのではないか。


自分にとって、
・家族とか


・勉強とか
・学歴とか、


・富とか
・仕事とか


・友人とか
・異性とか


・将来とか
・老後とか
・人生とか


そんなものへの価値観はどんなだったか。

そこに何かの予測や反省を書くのではなく。


そこには今の自分の定点を記す。


いつか、あとからその定点を振り返ってみるのが正直なきがするのだ。


どうも、ただただ「今思うこと」を書く自分と
「過去や未来のこと」を書く自分には差があるな、ただ今の自分を書く方がずっと書きやすいな、と思った次第。



やはり自分の分析は自分には難しい。