藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

その年代の心構え


四十代、は難しすぎるので、後回し。


十代、
二十代、
三十代なら予想できるか。


予想、というか目下の子たちの心理、というのは年長者からはなぜか見えやすいものだ。
これも「見えるみえる」という気になっているだけかもしれないけれど。

十代の心がけ。


二十代の心がけ。


三十代の心がけ。


などと言ってみて、結局「目的地」次第でそんなもん、どうにも変わるワイ、とセンないことに気付く。


が、そうでもなく。
やはり「こんな感じで」と思いたい。

自分を思い返すも、どうにも「自意識」がまったく「過剰」で自分のことも周囲も見えてなく。

言い方を変えると、「余計なこと」に気を取られずに生活しろよ、と言ってやりたい。


十代は。
セイシュンである。
ただひたすら青春していいのだ。と後世代からは言いたい。

何でも好きになり、何でも話し、何でも学ぶ。

妙に後々の損得、など考えると矮小な人間になるゾ。
ただし、世をはかなんだり、政治を嘆いたり、自分に起きたマイナスを「周囲のせい」にはせぬこと。
思春期についた「僻み根性」はあとあとの人生を歪めるものだ。


(つづく)