藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

紺屋の白袴

紺屋の白袴」。
自分のことはそっちのけで、周りに目が行っている。
それに似た。

専門家に聞くこと。

は時として重要だ。
それまで何年も考え続けていたようなことに、「急に」回答が得られたりする。
今回もそうだった。


四十を超え。
再度音楽を学ぼうと思い。
そもそも音楽とか、芸術とは何か?という疑問も新たに芽生え。
しかし、その「ひたすら頂上へ向かう登山家のような怪しい魅力」を感じながらここ数年。
いろんな「疑問」が堆積していたのだが。


音楽のプロ、とか音大出身者などに聞いてみたら。
いくつもの長年の疑問も氷解したり。
あらためて拍子ぬけした次第。


なんと、電子ピアノは指にダメージを与えるのだそう。


ぜんぜん知らなかった。
ずぇんずぇん知らなかった。
じぇんじぇん知らなかった。
ぶぇんぶぇん知ら…




そんなこと。


そして「ハノン 全曲練習」なんかも気をつけないと手を傷めるんだそうである。

そして一度傷めた手、はなかなか治らぬという。(嘆)


もっと以前に専門家から指導を受けていれば、素人特有のムチャなどせずにすんだものを。
ものごとはバランスが大事なものだ。(嘆)


ただ情熱だけでは済まされぬ。
特に四十以降は。
ダメージはそれまでの比ではない。(嘆々)


さて。
楽譜の読み方とか。
書き方とか。
調性とか。


ダイアトニックとか。
ドミナントとか。

???とか。


そんなことは知らず。
きちんと学ぶには、きちんとベンキョウすることも必要だワイ、と改め思う。
ちょっとはトホホ、だがなになに「これから」でもあるのダ、とも強く思う。


そんなことにも、過ぎ行く日常の中では気づかなかったのだなあ、と。
立ち止まる、というのは大事なことである。


ふああ。


人間、「心を若く保てれば」、案外どこまでも行けるのじゃないか?


そんなふてぶてしいこと、も最近思うようになった。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」とはいうが、すべての核になっているのはやはり「精神」だろう。

我われは突き詰めてしまえば「精神」という名の「無形の存在(ソフト)」がその『正体』なのではないか。

怪盗ルパン、は捕まってみれば、誰の胸中にもある自分の葛藤だったのだ、なんていうオチなのではないかとも思う。