藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています


買い物に行き、本筋でない「高スペック」なものを購入することは自分は案外多い。(汗)


最近買ったAMラジオは「デジタルチューニング」とかになっていて、これまでのアナログダイヤル式のものに比して圧倒的に選局し易い。(それにしてもAM放送の選局はなぜあんなに微妙なのか。固定しておいても、日を追うごとになぜか微妙にズレていく。)


AMラジオはもう旬ではないのだろう、結構高くて五千円とかするのだが、これ手にしてみて「もっと早く手に入れればよかった」という印象しきりだった。


同様に普段使いの三色ペン(2500円なり)とか、手元まで伸びる長い靴べら(5000円)とか、思わぬ便利さに寒心することも、最近気づいた。(汗)


電子マネーなんかも、どんどん導入してみて便利さを体感する。
(ついに携帯端末、としての電話の性能は究極に進化を遂げるのだろう。)


カネのかけどころ


亡くなった母親は本代だけはケチるな、が口癖だったが、そういう意味でカネの使い方、というのはその人の哲学というか、気質というか、そんなものが結構表れる。

本代はケチるな、と言ったって読めもせぬ量の本を買って「上滑り」していても始まらぬ。(焦)


同様に生活スタイル、にもカネのかけどころと、絞りどころがあるのだろう。
要は「そんな目」を意識するかどうかか。


特に若者。
「カネがないから使わない」とかでなく。
自分の消費スタイルを考える。


と自分を思い返すと、これも「年とともに」変化しないか、と思う。

若いころは、いかに「物的なもの」の欲を抑えて、「内面に投資」できるか。

という気がする。


が。


年を経て。

ちっとは身繕いにも気を使わねば。


と考え出したのは本格的なトシの取り始めか。(汗)


先日、20代半ばのスタッフが白いワイシャツに映えていたので「いいシャツだな」と言ったら「あ、二千円す」との答え。


若いころは、その若さが映えるのだ。

したがって若いくせにあまりに美装に気を配る、というのはムダである。


お洒落は中年以降のものなのだろう。


中年からが、「そこ」にも気を使うべきなのだ。



そんなことに、最近気づく。