藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

若い人へ


さて、「肉体」とか「物欲」とかは実は「精神」が支配している。
したがって、いくら物的に豊かになっても精神が満たされぬと「炎熱地獄」のように、永遠に富を追い求める。


そんなことをようやく見つけた今日この頃。


したがって。
その理屈でいくと、次の興味は「いかに精神を充足させるか」ということに移る。


この辺りは、ひょっとして日本のお家芸ではないか。
まあ欧州にもあるだろう。

いわゆる「文化」か。

価値を知ること


物的な豊かさなど、実は「精神」にとっては大したことではないのだ、と分かればどれほど心が落ち着くか、というのは「そんな目」になってみないと気付くのに難しい。

なので精神が喜ぶ「他のもの」をきちんと見つけておかぬと、いきおい「物を買って所有する」ということでしか精神が反応しなくなるのだ。


俗人の心、などそういうものだと思えば、そんなに扱いづらいものでもないな、逆に若いころなど、自分の心は「何になら満足できるのか」という、そのこと「そのものの存在」にすら気付かず、ずい分感情的に右往左往、振り回されていた感がある。


「追いかけるもの」を探せ


精神を「飼いならして」さえいれば、ずい分平和な暮らしができそうだ、と思う反面。

老後とか、お酒以外とか、そんなテーマをきちんと用意しておかないと、今度は
その「心の飼いならし」ができないことになる。

これは翻って若い人でもそうだ。
若いころなど、意味なく友人たちとたむろして、いたずらにおしゃべりしていたものだが、あんな感じ。


若くとも「友人と群れる」ということができなくなったとたん、自分の行き場を失う人は多いように思う。
昨今の引きこもりとか、ニートとかとも因果関係があると思うが、「自分の心が悦ぶテーマ」をきちんと養っておかないと「心が貧乏性」になるだろう。

必要なのはカネを稼ぐより、心を飢えさせぬことか。

若いときには思いもかけなかった結論に驚く。


しかも今頃。(呆)