藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

失業加速。

製造業、中でも電機大手はそろって「万単位」の従業員を削減するという。


冗談でなく失業率も倍くらいにはなるだろう。
ピークは四倍くらいは覚悟せねばならぬかも知れぬ。
トヨタは北米でワークシェアをついに始める。

週休三日とか


週のうち生活費のために働くのは三日とか四日とか。
そのくらいの視点で生活を組みなおす。

あまり金を費消しない「何か」で生活サイクルが構成されてくるのは「文明的、産業的向上」を志してきた人類の初体験である。
というか、「金銭の消費」がカッコよくもないんだぞ、という新しい価値観のとば口だ、と思う。


まあより高次元、ではある。
物的、量的なものもから、質的なものへの「関心の移動」が起こるのだから。
で、身びいきながら日本人は「その辺り」は割りと上手いのではないか。゜


歴史の重みである。

EUもそんな辺りの懐は深いのではないか、と思うのだがただ「国の歴史」がずい分違う。

大陸で自国の領土を侵しつ、侵されつつ、と延々と繰り返してきて、なかなか「内的なもの」に落ち着いて目を向けてはいられなかったろう。
ただし文化的な深さは日本をはるかに凌ぐ、とも思う。


フランスの旧市街で、親子何代にもわたり理髪店を営む店主とか。
もう何十年も広場で、荷車に鉢花を載せて、街頭販売をしている女性とか。


「ひなびる」という感覚が主になる時代か。
価値観が変わる。
潮目が変わる。


自分たちが何より備えていたいのは「頭の柔軟性」。
何が起きても、何があっても、クールに現実を見つめること。
それで自分たちのこれから、を考えたい。


不景気を赤ちょうちんで嘆くことには意味はない。
信頼できる身内で「次の何か」について口角泡を飛ばす、方がよほど自らを助けるのだ、というのは常識である。