藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

予定の埋まる幸せ。埋まらない幸せ。


ある日の予定。

8:30〜新しく紹介いただいた司法書士さんと新規案件の打合わせ。
10時から登記所に出ずっぱり、とのことで無理やり朝に割り込み、時間をいただく。


10:00〜客先のシステム開発案件についての要件打合せ。

11:00〜現行の社内案件の進捗会議と今後の方針を打合せ。

12:00〜銀行関係の来客。

午後1:00〜客先にて新規案件のプレゼンの準備打合せ。

2:00〜現行案件のスキームについての法律勉強会&手続きの確認。

4:00〜広報スタッフとの次期hp構想打合せ

5:00〜ベンチャーキャピタルの表敬訪問あり

5:30〜同業経営者さんとの情報交換(ちょっとカブる)

6:00〜人事会議

7:30〜新規事業関係者打合わせ

8:30〜他メンバーが合流して食事会か?

ああ。



空き時間なし。




というか、自分が本当に役立っているのだろうか。

正しく動けているのだろうか。

活躍しているのか。

陳腐化していないか。



そんなことが気にかかる。


仕事の種類


仕事は、実は二種類。

「これまで」の仕事の量を拡大し、生産性を向上させて成長を図る仕事。


一方。

新しいことへのチャレンジ。

そのためにあらゆる関係者に協力を依頼したり、率直な意見をいただいたり、また新たな協力者を紹介してもらったり。という仕事。


有体に言って。

「既存の仕事の拡大・質の向上」よりも「新しいこと小さな成功」の方がよほど難しい。

というか努力のベクトルが違う。


どちらもパワーの要る仕事であるが、「新しいものを追う」ということは、これまで前例のない分常に不安と葛藤せねばならない。
不安が大きい分、一歩づつ進む実感もまた確かなものがあるのだが。

時間の相対性


忙しくしていると、「それでいい」と自分たちは満足しがちである。
いや忙しくしているともちろん疲労もするが、何か言い知れぬ「充実感」も感じる。
いや。
虚無感が薄らぐのだろうか。
どんどんミーティングをして、人と話し、夜になって酒を飲んでいると、何か仕事をしている気になる、というのはオフィスワーカーにはありがちなことである。


自分が一杯いっぱいかどうか、など

実はどうでもいい。
それよりも。


自分が「自分にしかできない」役割を果たしてるか。
オリジナリティ、というか。
希少性というか。


これは特に日頃忙しく、バンバン仕事をこなしている人ほど、気に掛けねばならないことではないか。と最近思うようになった。


燃え尽き症候群」はまさにただひたすら「燃えて」いた、「燃えること」そのものが自己目的化してしまった暁に、芯まで燃えてしまったことを指す。
忙しく、どんどん仕事をこなしているからこそ「時間の概念」が薄らぐ。


時間感覚が薄らぐと、それで満足してしまう。
身体が老い始め、「?」と感じた時にはゲームオーバー。


そんなことになりはしないか。
社会人も20年を過ぎ。
普通なら半分は経過していることになる。


そんな人生折り返し感、が「曲がり角」的に強くなっているのだろうか。
たまたま忙しい日常の中に(もう煙草も吸わないのに。でもコーヒーはやたら飲むけど)、ふっと息を抜くとそんなことが頭をよぎる。


そう、予定のない日にも、もういろいろと考えたいことは出てきているのである。
予定の埋まらない日を楽しめる、ような。


そんな「余裕の心」を持ちたいものである。