こうして自分の人生を振り返っていることがもう結構年を取ったということかもしれないけれど。
最近の新しいビジネス、特にIT系のことなどを見ていて思うことと、自分がかつて三十年ほども前にいた時代の「IT産業」とはどれほど差があるのだろうか、というようなことを思う。
結論的には、あまり大した差はなくて。
でも昔も今も、その業界の「どこ」でメシを食うのか、生きていくのか、ということは反対に「いつの時代も意識していなくてはならないテーマ」であると思う。
これはIT業界に限らない。
メーカーも流通もサービスも、農業漁業も、自分の業界の「どこを自分の住みかにするか」ということは極めて、その後の自分のありように関係してくるのである。
独立か系列か
一例で言えば、いわゆる「独立系資本」の自分の就職した会社などはいわゆる「後ろ楯」のようなものがない。
そんな「独立系の連中」はたくさんいる。
結果そんな「独立系の連中が徒党を組む」という現象が発露するのである。
仕事の繁閑の具合で、互いに人を出し合ったり、また大きな案件には橋頭保を築いたりと、それはそれで結束するのである。
が、自分は「そうした慣習」になじめなかった。
(二十歳すぎの頃に)もうこれから「このような業界」で、ずっと業界内の先輩後輩たちと付き合い、「いつも"IT業界からみた世間"の話」ばかりをしているような先が見えて、どうにもやりきれなかったのである。
その業界にいながら、その業界から「はみ出る」ようなことをしたかったのである。
そんな「きちんとしきたりの中に納まって、何もはみ出ることのない人生」なんて自分にはつまらなかったとしか言いようがない。
因果なものだが、結局今にしてみれば、その業界内で地道に努力をして一角の財産を築いている先輩たちも多いから、人生って結局「何がしたいか」を常に考えつづけていくものなのだろうと思う。
自分は、自身を顧みてもとにかく「こんなものだな」という「先」が見えてしまうのが嫌なタイプのようで、未だにあれこれと選択肢を絞りきれないでいるのである。
自分の性分がどのような性向にあるのか、ということをしばしじっと考えてレビューして見るのも、これからを過ごしていく上では意味のあることではないだろうかと思う。
【記事】
どこで生きていくのか、と。