藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

業界人のニオイ。


よく「胡散(うさん)臭い」などという。
幼時から、育ってきた生活の環境とか、地域とか、人の生きてきた様子はそれぞれさまざまである。
ただ、年を経るにつれ、だんだんと「ある色」が出てくる。

我われはそれを「顔つき」とか「人柄」とか「なり」とか色々と表現するが、その人の人間性が「沁み出してくる」ような体臭は誰にもあるものである。

よく初対面の人に、姓名の由来や、出身地を訊く人がいる。
それが、その人の人となり、を把握するのにとても効果的な質問だ、ということを経験的に知っているのである。
地政学的に、東北の人がどう、
山口の人はどう、アメリカ人はどう、フランス人はどう、と括ってしまってよいものではもちろんないが、その人の出身地のこれまでの歴史を通じて、その人の何らかの性向を知ろうとするのはそれほど無駄な問いかけでもないのである。

職業別・フレグランス


さて。
出身地や人種はともかく。
やはり社会人になり、日々の糧を得るようになって、本格的にその人の「社会人的人格」は形成されてくる、と思う。
そこはもはや「純粋無垢な学生さん」ではない。
一人社会に出て、自分の食い扶持を稼ぐ「一人前」の大人としての立ち位置。

そして、その「生業」とするものの性質が、当人の「人格形成」に大きくかかわってくる。


一方。
自分で、自分の体臭や口臭に気付かぬ人は多いという。
自分の「人柄」がどのようなフレーバーを放っているのか、ということに自分たちはもう少し敏感でいい。
存外に、職業はそうした色をつけてしまうものである。


例えば
教師。
医師。
弁護士。
銀行マン、証券マン。
作曲家。
演奏家
商社マン。
小売業。
建設業。
不動産屋。
コンサルタント

などなど。

みな、知らず知らずに、その業界に身を置くうち、それとはしらず「体臭」を纏ってしまっている。
その色がいいか悪いか、ということはここでは問題ではない。


「その体臭」を帯びていることに、自分自身が気づいているのかどうか、ということが一番いいたいことなのである。

自分としては、ある美学を持ち、顧客のサイドの目線を忘れぬ仕事のスタイルを貫いている、と信じていた。
しかし、実体は目先の業績以外には目もくれぬ、余裕のないコスい仕事人になっている。
そしてまったくそれとは気付かない。

そんな「自らの変質」に十分気をつけてゆきたいものだ。


過去の経験もある。
自分で自分のことは一番よく分かる、と信じている。
だからこそ、これまでの自分の殻を破ってまで「新しい試み」を志向しようという動機に欠ける、というのは致し方なし。


「不動産屋色」とか「コンサル屋」と揶揄されるような言動が、図らずも滲み出てしまう前に。
いつも「自分のカラー」を見る目を身につけておきたいものである。


そして、でき得れば、幾つになっても「透明」でいたいものだと思う。