藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

常に淀まず。


宮本武蔵は「淀む」ことを避けたという。
淀めば、水は濁る。
清々しく、ゆるやかに常に流れるべしと。


で、男女関係とか、
夫婦とか、
親子とか
友人とか、
店(会社)とお客とか、
自分と仕事とか。


そんな「一対一」の関係の場合のお話。
周囲の脅威にさらされなくなると、陳腐化する。


仕事の場合は一対一ではない場合が多い。
同僚とか、先輩とか、競合他社などがいるのが普通であるから、こういうのは陳腐化しにくい。


けど、自分しかできないような環境の仕事が認められ、自分本位にこなしていっても誰にも文句を言われなくなったら、そこから陳腐化が始まる。

安心、の始まる功罪。


結婚してそれまでの男女関係が陳腐化するのは、互いが「ツガイ」でいることを約束したため、基本的には「他者からの脅威」がなくなった、という認識を持つからである。
「釣った魚にエサをあげない」という至言があるが、自分はまったくそのタイプであった。(今もそうか)


もう長年の会社同士の取引も、はるかに便利なサービスを破格の低価格で提供するライバルが現れたとたんに「緊張関係」に入る。
自分はこれまで会社運営をしてきて、ずい分と顧客にもお世話になったが、

座右の銘は「一回ごとの契約が真剣勝負」であった。

これまで顧客と築いてきた関係とか、信頼感などがあるにせよ、いつ何時「遙かに優秀な会社」が出現し、顧客にアプローチしないとも限らない。
その時に「受けて立つ」力がないなら、老兵は、ただ去りゆくのみである。



何かアホが説教しているみたいになってしまった。
で、何が言いたいのか。
会社対会社、だとそのように「他人同士」の関係を保持し、「良い緊張関係」を保つことができるのに。
どうして人間関係だとそういかないのか、というのが不思議だったのである。


それは多分「一対一」だと安心してしまうからではないか。
安心は、とたんに慢心に変わる。
「その関係」を保持するための努力をしなくなるのである。


なんか、完全に「自虐日記」みたいな感じになってきたけど。

結局、「ホッ」とした、そこから「関係の老化」が始まっているということ。

だから、そのためにはいかに安定的なポジションにいようとも、たとえ「仮想敵」を作りだしてでも、己を脅威にさらしていないと、いつしか必ず足もとがぐらつく。

人は「苦しいこと」からは逃げる習性、いや逃げたい心理を持つものだが、あえて「常に脅威を探し」、そして「常に脅威に身を晒す」ということが必要なのだ、とつくづく。

ああこういうことは、義務教育で教えておくような内容ではないのかなぁ、とこの年に義務教育を受けているような心境なのであった。


ふぅ。