藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

パピルス回帰

EDISON ほんたった黒(ハードケース入り)

EDISON ほんたった黒(ハードケース入り)


昨日改ページのない本、というような話を書いていて、ふと気づく。
そもそもは
読書している。

ながら読書をする。(飲み食い、音楽、ニュースなど)

いちいち「視線」の途切れが気になる。

「ながら」を止めるが、それでも「途切れ」に気づく。

改ページが邪魔。

改ページの「ない」本はできない?

電子本なら、わけはない。


というような思いつきだった。
だが視線の移動には、狭いと思われる「本の対角線」程度の距離の移動であっても0.2秒のロスがある。
これは電子書籍の「対角線」の視線移動でも同じことである。
電子書籍なら手作業と違い「改ページそのものの速度」は無限に早くできるだろうから、この0.2秒に限りなく近づくだろうが、それでも0.2秒以下にはならないじゃないか。


という細かい思いつきというか、こだわりなのだけれど。

視線移動ゼロ。


人はその視野のなかで、さらに「一定の範囲内」を同時に認識できるという。
その塊(チャンクなどと言うらしい)の大きさは人によって違い、また訓練(速読)によっても広がるらしいが。

例えばどんな人でもおよそ二〜三行程度の幅であれば、同時に見ていて認識できるだろう。

ということは、常に「その範囲内」に対象物があれば、「視線移動なし」でのリーディングが可能ではないだろうか。

常に「幅5センチ程度」のところに「読みたいもの」があること。

そりゃ「巻紙」じゃないか。

あれはクルクル両手で捲き送りしていれば視線が動かない。
こりゃ画期的かも。
古代にヒントがあったとは。


「電子巻紙」の出現である。

常に視線を動かさず、「幅三行」くらいに「文章ごとに表示する」本。
これまでに比して革命的に読みやすい本、とはならないだろうか。

これも既存技術。


既存のような電子書籍の表示装置。
その中央には、幅5センチ程度の「巻紙部分」を備える。


巻紙部分は、読者の視線を追いかけるセンサーを備える。
文章は「一文ごと」あるいは「数センテンスごと」にその「巻紙部分」へ表示される。
「視線」が巻紙部分の「最後の文字」に触れたとたん、「次のまとまりの文章」が表示される。
(文章送り)

そしてそして。
このモードが続く限り、視線移動のロスは無い。

電子巻紙式リーダー。(巻紙はpapilloteというらしい。洒落ている)
どっぷり読書には必須のツールにならないだろうか。