藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

政権交代こもごも。


長年、自分も生きていると選挙とか、改革とか、そういうものに「日常感」が出てきて、惰性で何も感じなくなる。
今回鳩山首相が辞任した件でも、「あーあ」くらいに思っていた。


だが。
世間の分析は二分している。

一つは、鳩山政権で「戦略相」という要衝のポストにあった菅氏が、当時は何もせず、急に党首になって働きぶりが変わる、というのはおかしい、というもの。

たしかに、それはそうである。
もともとは「同根」の民主党
「首がすげ変わった」だけではなにも変わらぬ、というのは妥当な見方である。
だが一方。


鳩山首相まで、四代続いて、「世襲議員」による党首が占めた。
そして、村山首相以来になる「民間たたき上げ」が菅直人首相である、との見方。
「同じ党からの同根の狢(むじな)」という見方は、簡単だが、そうでもないかもしれない。


そして鳩山首相は「戦後の自民党政治」である「談合、献金、地元への利益誘導」から決別するための触媒だった、という見方もある。
自分はそこまでの考察はなかった。
が、今はそのように感じる部分も多い。


実に人の解釈は多面的であり、物事は「一かゼロか」では割り切れないものだと思う。
毒がなく、しかし頼りなげな鳩山首相が、実は「これまでの毒」を解毒するための存在だった、といわれれば、一躍ヒーローにも思える。
自分たちが「それまでの金脈政治」にある種の絶望感を抱いていたのは間違いないのだから。

 「私に『裸踊り』をさせて下(くだ)さったみなさん、有り難(がと)うこざいました」

鳩山首相twitterでそう呟いて職を退いたそうだが、あながち出鱈目ではないのかもしれない。
今の政権交代が、大きな意味で「金権政治からの離脱」のカタルシスの過程だ、というのは重要な視点であると思う。


参院選狙いだ、とか無責任国会、とかいろいろな意見がマスコミにも渦まく。
だが自分たちにもっとも重要なのは「大きなうねり」が正しい方向へと向かっているのかどうか、という視点だろう。


無責任、表面的に見えた主役たちの振る舞いが、その後とてつもない「義勇だった」というのは歴史上枚挙にいとまがない。
つくづく、周囲がどう言おうとも、「独自の視点」が重要なのだと思う。