藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ジャスラックの誤謬。


著作権は、ともすれば無実化してしまう創作の権利、を守る存在ではあるのだろう。
だが、「その権利」を主張するあまり「ミイラ取りがミイラ」になって、誰のために権利を主張しているのか分からなくなることもある。

「個別に著作を厳密に保護してゆく」ということの正しさと、「それが全体として何を護っているのか」ということはしばしば見失うことがある。

個別のルールに厳格なあまり、「木を見て森を見ず」になる。
とくに規制の遵法者は、ついついその向こうにある「大義」を忘れてしまうことは多い。
結果的に「著作権料」を取りたいのか、音楽を普及させたいのか、という原則が見失われるからこのようなニュースになるのだろう。

しかしオーケストラの主催となると、「団員に給料を払っており、実演家(団員)は報酬を得ていると判断できる。
内容は同じとされても、『音楽を利用する主体』という形式的な点で判断せざるを得ない」。

本筋に戻り、「何のための芸術の普及か」ということを常に判断せねば、この権利団体の経営判断はブレてしまうことになる。
個人的には、もっともっと「ボランティア演奏の普及」を企図して、jasracの運用ありき、と言われるような演奏活動を主導してゆかねば、たんなる「嫌味な規制団体」としてますます疎まれる側面を脱しきれないと思う。


何か困ったことが催事であれば「jasracに頼んでみよう」というくらいの発想の転換を望む。
役所仕事では、芸術は滋養しない。
ぜひ発想の転換をお願いしたい。

無料公演なのに「著作権料を」 JASRACにオケ当惑
ノーギャラのボランティア演奏会でも楽曲の著作権使用料を支払わなければいけないのか。
音楽の著作権を管理する日本音楽著作権協会JASRAC)と各地のオーケストラの間でこんな議論が起きている。
主催の名義が変わっただけで、支払いを求められるようになったケースもある。
著作権法38条で、著作物を自由に使えるとされる「営利を目的としない上演等」の解釈の違いが原因だ。


神奈川フィルハーモニー管弦楽団は、神奈川県内の養護学校などでのボランティアコンサートを県の依頼に応じる形で実施してきた。
「子どもたちに音楽を届けたいという気持ちを積極的に打ち出したい」と今年4月から自主公演に切り替えたところ、JASRACから使用料を払うようにという指摘を受けた。
団員は交通費等の実費のみで、公演への報酬は受け取っていない。


JASRAC側の主張はこうだ。
こうした自治体や学校の依頼にノーギャラで応じるのであれば、「営利を目的としない」「入場料無料」「実演家(この場合は神奈川フィルという団体)に報酬が支払われない」といった著作権法の要件を満たしているため、使用料はかからない。
しかしオーケストラの主催となると、「団員に給料を払っており、実演家(団員)は報酬を得ていると判断できる。
内容は同じとされても、『音楽を利用する主体』という形式的な点で判断せざるを得ない」。


神奈川フィルの長塚義寛理事兼事務局長は「内容に変更はなく、社会貢献の気持ちを表したかっただけなのに」と納得しきれない。


名古屋フィルハーモニー交響楽団は、1996年から名古屋市音楽プラザで年間20回ほど無料のサロンコンサートを開催している。
今年5月、JASRACから同様の指摘を受けた。
一方で、名フィルは市主催で無料の「まちかどコンサート」に協力。
こちらは使用料を請求されていない。


こうした状況に対し、日本オーケストラ連盟は「従来はオーケストラ自らがボランティア公演を積極的に展開することはまれで、問題になることはなかった。
今後このようなケースが増えるのでは」と懸念し、JASRACに配慮を求めて話し合いたい意向だ。
(青山祥子)